水晶髑髏、クリスタルスカルは文字通り、
水晶で作られた頭蓋骨のこと。
古代文明により作られたクリスタルスカルは、
世界に13個存在しているとされ、
それらを集めると、人類が救済されるという伝説が。
現代でもその製造は難しいとされるその高度な技術。
場違いな人工物、オーパーツとして注目されてきました。
米・シアトルの住宅街。
毎月13日の夜にはスカルの信奉者たちが集まり、
多数のスカルを前にして瞑想し、
救済を願っています。
スカルは私に世界の情報を授けてくれるのよ
私たちの精神が伝わると、地球の歪みが直るのです
信奉者たちはそのように話します。
13のクリスタルスカルのうち、
特に有名なのが3つあり、
それが「ブリティッシュ・スカル」
「パリス・スカル」で、特によく知られているのが
ヘッジススカル(Hedges skull)
です。
現在はインディアナ州のビル・ホーマンが所有、
彼は前の所有者のアンナ・ヘッジスから受け継ぎました。
アンナ・ヘッジス。
彼女はこのスカルを、古代マヤの遺跡で
自ら発見したと証言しています。
1924年、英国領・ホンジュラス(現ベリーズ)。
彼女は16歳の時に、
探検家である父のミッチェル・ヘッジスとともに、
この地を訪れ、ある朽ち果てた遺跡の頂に登った時、
光が漏れる穴を発見、そこで見つけたのがクリスタルスカル。
1950年代にその存在を世界に発表、
以後、古代文明の奇蹟の異物として知られようになり、
ヘッジススカルの名で呼ばれるように。
1970年、電子部品として水晶を扱う
ヒューレット・パッカードの研究所にて、
このスカルが分析された結果、
顎と本体は一つの水晶を切り分けて作られていることが判明、
滑らかな表面からは、
道具による加工の痕跡は見つかりませんでした。
古代文明において水晶を加工する場合、
まずおおまかに砕いてから、石や木、砂などで磨いていくことになり、
このような滑らかな表面加工は不可能だと考えられました。
もしも、古代の技術でこの水晶をこのように加工するとすれば、
300年はかかるだろう、そのようにも言われました。
事実上製作不可能
神秘性が高まったヘッジススカルに、
ヘッジス親子には取材が殺到、
二人は世界中で講演し、
アンナは多数のメディアで自分が古代マヤ遺跡で見つけたと述べました。
現在の所有者、ビル・ホーマンがその神秘性について話します。
これは水晶の石目に逆らって彫られていて、
古代人に作ることは出来ません。
また、無重力状態が必要で、
現代でもそんな技術はありません。
いったい誰が作ったのか、謎なのです
オッカムの剃刀
一週間の間に、同じ放送局で
2回もこの言葉を聞くことになりました。
前回は「総合診療医ドクターG」でしたね。
よく哲学、論理学の分野に登場するもので、
「ある事柄を説明するために
必要以上に多くの仮定をするべきではない」
という考え方です。
今回の場合、
根拠のない古代文明の未知の技術の存在を仮定する前に、
あるいは、それが謎のエネルギーを
持っているなどという意味不明な仮定をする前に、
どうすれば、それを製造することが出来るかを
考えるべきでした。
目の前の何らかの事物を説明しようとする時に、
まずは自分の知識で説明できるかどうかを考え、
それが不可能なら、自分以外の知識で説明できるかを考え、
それで駄目なら、そういう仮定も必要かもしれませんし、
仮定を設定するのはその時でも遅くはありません。
2008年、米・スミソニアン研究所で
40年前には用いられなかった走査顕微鏡により
ヘッジススカルの調査が行われました。
その時、水晶の表面にこのような筋が確認されました。
これは手で磨いた痕跡ではなく、
ダイヤモンドコーティングされた回転機械による研磨の痕。
19世紀に登場した機械の痕と一致したのでした。
さらに金属ドリルの痕も見つかっています。
スミソニアンはこれが19世紀末以降に作られたものとだと
断定しました。
また、ヘッジススカルの分析と同じ頃、
ブリティッシュ・スカルやパリス・スカルも分析され、
同様の加工機械で作られたことが確認されました。
1943年10月15日ロンドン、サザビーズ。
この時のオークションの目録です。
クリスタルスカル。
紛れもなく、ヘッジススカル。
ヘッジス親子は1924年の発掘以来、
手放していないはずのスカルが、
なぜオークションにかけられていたのでしょうか?
それは、彼がスカルを売ろうとしたのではなく、
ここで初めて、ミッチェル・ヘッジスは
このスカルを手に入れたことを意味します。
オークションで競り落としたのは、
ミッチェル・ヘッジスだったんです。
1924年にアンナが遺跡で発見したはずのものを、
なぜか、1943年に父がオークションで購入していました。
1924年、この時にアンナが現地にいたという記録はありません。
それだけではなく、世界の常識を覆す大発見にもかかわらず、
その記録も一切ありません。
そのようなことがあり得るでしょうか?
19世紀の末、パリ。
古美術商のユージン・ボバン。
学者の肩書きを持ち、
時のメキシコ皇帝と懇意であること生かして、
二千点以上もの古美術を収集、
ヨーロッパで販売していました。
当時欧米では、中南米の古代文明ブームが起きており、
彼は本物の遺物に偽造品を売って販売していました。
著名な博物館でさえ、
ブームの中、一つでも多く収蔵品を増やすため、
それらの"遺物"を買いあさりました。
クリスタルスカルとボバンの接点を求めると、
ドイツのイーダー・オーバーシュタインに辿り着きます。
この街の店先のショーウィンドウにはクリスタルスカルが。
14世紀以来、ここは宝石、鉱石の加工では
ヨーロッパ有数の街でした。
この街の歴史とクリスタルスカルの関わりに詳しい
宝石加工職人のミヒャエル・ポイスターはこのように話します。
ユージン・ボバンはこのイーダー・オーバーシュタインで
クリスタルスカルを作らせたのだと思います。
ここは技術が確かな上に、秘密が守られる場所だからです。
ここで作る以上、秘密にしてくれと言われれば、
どんな注文であっても、絶対に外に漏れることはありません。
「古代に作られたクリスタルスカル」という名目で、
オークションに出したとしても、
秘密が外に漏れるということはないのです
クリスタルスカルは
人間の欲望が形になったものなのでしょう。
いっぽうで、これらの髑髏は
わからないものの答えを考える時に、
根拠のない仮定に頼ったり、
妙に複雑な理窟にこじつけると、
真実からは遠ざかるということを教えてくれてもいます。