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平清盛 第八話「宋銭と内大臣」 その背景 藤原忠通・頼長兄弟は親子でもあった?

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以前もお書きしましたが、
この時代を知るためには天皇家と摂関家、
そして源氏と平氏のそれぞれの内側と、
外との関わりを理解するべきなのでしょう。
今回はそんなお話です。


この劇中の頃の前後、天皇家は祖父と孫という間でありながら、
甥と叔父という間柄でもあった鳥羽上皇と崇徳天皇の間で軋轢がありました。
そして同じ頃、摂関家でも不和が生じていたんです。

この彼、これまでも登場し続けていた藤原忠実です。

大河ドラマ 平清盛


その長男がこの忠通で、

大河ドラマ 平清盛


次男が頼長となります(忠通から見れば異母弟)。

大河ドラマ 平清盛

この兄弟について父の忠実曰く、

忠通は風月に長じ、頼長は経史に通ず

とのこと。
兄の忠通は温厚で書に優れ歌に通じ、また自身もよく歌を詠み、
彼のこの歌が小倉百人一首にも選ばれていたりもします。

そんな兄に対し、弟の頼長は

日本一の大学生

と言われていたそうです。
学生は"がくしょう"と読み、今でいう学者ぐらいの意味で、
それほど彼の学問は讃えられるレベルでした。
性格も忠通とは対照的に、
劇中描かれたように妥協を許さず、苛烈なものであったようです。


兄の忠通には長く男子が生まれませんでした。
そこで父の忠実は次男の頼長を養子にするよう、
忠通に働きかけます。
弟を養子とする話は、後の世でもままある話ですが、
この兄弟、23歳の年齢差があります。
忠通は弟・頼長を養子とし、自分の後には
摂政、あるいは関白の座を譲る事を約束します。

一般には父の忠実が可愛がっていたのが頼長で、
忠通は忠実と頼長とは不仲であったとされます。

このあたりがこの後の争乱に大きく関わってきます。
特にこの時点よりもう少し先に、
忠通に実子の男子が生まれることで
話が複雑になっていきます。


最後に兄の頼長の歌を。
これが小倉百人一首にも採られた一首です。

わたのはら 漕ぎ出でてみれば 久かたの 雲ゐに紛ふ 沖つ白波

"新院位におはしましゝ時海上遠望といふことを詠ませ給ひけるに詠める"
とあり、崇徳院が帝だった頃に、
帝から「海上遠望」とのお題を賜り詠んだもののようです。
この後の歴史を思いますと、
いろいろと考えさせられる歌でもあります。

その争乱は確実に大河ドラマでも描かれるはずですので、
その時をお待ち下さい。



ねてしてタペ





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