第二十一話「保元の乱」 その背景 ~…で、清盛は何を?~-
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11265858805.html
保元の乱の描写の時には、
このようなタイトルの記事を作りました。
今回はその続きのようになりそうです。
次の大河は「平清盛」だ、ということで、
基礎知識がない私は基礎から勉強することにしました。
そして気がついたんです。
平清盛という人は…、しばらく描くべき出来事がない、と。
歴史上、祇園闘乱事件には名前が出てくるんですが、
史実に沿えば、清盛を主役として華やかに描くような出来事ではなく、
すると、華々しくということでは、
保元の乱を待たねばなりません。
しかし、その保元の乱でも、
後白河天皇に与するという決断は重要でしたが、
どうにも、ドラマティックではないんですよね。
今回の大宰大弐に任ぜられる描写なんかを見ていても、
手も触れずに相撲に勝つような人物だったのではないかと思います。
「保元物語」によりますと、
勇将・源為朝が守る門へと進んだ清盛軍でしたが、
彼の郎等が為朝の弓に串刺しにされたのを見ると、
必清盛が此門を承って向ふたるにもあらず、何となく押よせたるにてこそあれ。いづ方へもよせよかし。さらば東の門か
などと言って、軍を返そうとしています。
要するに、
この門を攻めよとこの清盛が承っていた訳でもなく、
何となくここに来ただけなのだ。ならばどこかへ行こう。
ならば、東の門か
と、すっとぼけた訳です。
それを聞かず前に進み出たのが嫡男・重盛で、
勅命を蒙って罷向たる者が、敵陣こはしとて、引返すやうや有べき。つゞけや、若者共
「勅命を受けて戦にある者が、
敵が恐ろしいと引き返すことがあってよいものか。私に続け若者共!」
とたいへん勇ましいです。
しかし、それも清盛が制止させ、為朝の北門から離れることとなりました。
まあ、「保元物語」は清盛を悪く描写していて、
ここでは清盛=臆病者というイメージにしたかったのだとは思いますが、
源義朝は下がりませんでした。
彼には父とまで戦う覚悟がありました。
兄として為朝を諭そうとしたのはもちろんですが、
為朝の矢が兜に当たっても引き返しはしませんでした。
結局、義朝の案で火をかけ、
天皇方の勝利となる訳で、
この戦で清盛軍300騎という数は重要でありましたが、
実際の戦闘での貢献度となりますと、
義朝とは比較になりません。
そこで今回のお話。
源義朝は信西に戦功に見合う官位を、
受領をと直談判しようとしていました。
平清盛は大国の播磨守となり、二人の弟が殿上人となりました。
義朝も昇殿は許されるようになりましたが、
与えられたのは左馬頭という官職だけ。
朝廷の馬の管理の責任者です。
それよりも前、平清盛は叔父・忠正を、
源義朝は父・為義を斬っています。
ドラマでは同時進行となっていましたが、
現実は清盛が二日先だったとされています。
清盛は忠正を斬るのにためらいはなかったとされ、
むしろ、平氏の中の異分子を排除出来るよい機会と捉えていたのでしょうか。
清盛は叔父を斬りました。
その事実が義朝を苦しめます。
清盛が叔父を斬ったなら、自分は父を斬らねばなりません。
そのプレッシャーを与えるために、
信西らは忠正の斬首を先にしたのでしょう。
為義とその5人の子たちは、
息子であり兄である義朝に斬られてしまいました。
劇中描かれたように、義朝は宮中に上がるために、
父の首を刎ねた息子として後ろ指を指されたようです。
それなのに…、この仕打ち。
信西に対する恨みはいかばかりか。
清盛に対する嫉みはいかばかりか。
それがこれからのお話となります。
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保元の乱の描写の時には、
このようなタイトルの記事を作りました。
今回はその続きのようになりそうです。
次の大河は「平清盛」だ、ということで、
基礎知識がない私は基礎から勉強することにしました。
そして気がついたんです。
平清盛という人は…、しばらく描くべき出来事がない、と。
歴史上、祇園闘乱事件には名前が出てくるんですが、
史実に沿えば、清盛を主役として華やかに描くような出来事ではなく、
すると、華々しくということでは、
保元の乱を待たねばなりません。
しかし、その保元の乱でも、
後白河天皇に与するという決断は重要でしたが、
どうにも、ドラマティックではないんですよね。
今回の大宰大弐に任ぜられる描写なんかを見ていても、
手も触れずに相撲に勝つような人物だったのではないかと思います。
「保元物語」によりますと、
勇将・源為朝が守る門へと進んだ清盛軍でしたが、
彼の郎等が為朝の弓に串刺しにされたのを見ると、
必清盛が此門を承って向ふたるにもあらず、何となく押よせたるにてこそあれ。いづ方へもよせよかし。さらば東の門か
などと言って、軍を返そうとしています。
要するに、
この門を攻めよとこの清盛が承っていた訳でもなく、
何となくここに来ただけなのだ。ならばどこかへ行こう。
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とたいへん勇ましいです。
しかし、それも清盛が制止させ、為朝の北門から離れることとなりました。
まあ、「保元物語」は清盛を悪く描写していて、
ここでは清盛=臆病者というイメージにしたかったのだとは思いますが、
源義朝は下がりませんでした。
彼には父とまで戦う覚悟がありました。
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結局、義朝の案で火をかけ、
天皇方の勝利となる訳で、
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実際の戦闘での貢献度となりますと、
義朝とは比較になりません。
そこで今回のお話。
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