卒業シーズンです。
既に卒業式を終えられた方もいらっしゃるかと思います。
そこで、
ビーバップ青春白書 歌に秘められた先生へのメッセージ~卒業名曲の裏側~
と題して、
その名曲の裏にある秘話が紹介されていました。
お話は音楽評論家の富澤一誠さん。
番組には3度目のご登場です。
デビュー40周年を記念して昨年11月に発売され、
この3枚組ベストアルバムにも収められていて
現在も売れ続けている
松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (通常盤)/松任谷由実
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松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (初回限定盤)(DVD付)/松任谷由実
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松任谷由実「卒業写真」
まずはこの曲から。
正しくは「荒井由実」さん名義ですね。
もちろん、ユーミン作詞作曲による作品です。
この曲は数ある卒業ソングの中でも定番中の定番。
元々は1975年発表の「COBALT HOUR」の中に
収められていた1曲でした。
後にハイ・ファイ・セットがカバーしヒットしたことで、
多くの人に知られるようになったようです。
恋の歌が多いユーミン。
この曲にも、自身の学生時代の恋愛の記憶と
重ね合わせて聞いている人が多いと思います。
悲しいことがあると
開く革の表紙
卒業写真のあの人は
やさしい目をしてる
しかし、この曲が誕生した裏には、
このような物語があったのでした。
荒井(松任谷)由実さんは元々、
東京芸大を目指されていたんだそうです。
高校が終わると、美術教室に通い、
実家が呉服屋でもあり、
ゆくゆくは着物のデザインなども手がけてみたいというのが
夢だったそうです。
その当時の美術教室の先生は20代の女性。
その先生が彼女が描いている時に、
なんでちゃんと描けないの?
と責めるように訊きました。
ユーミンは
わからなくて、ここから先は描けなかったんです
と、苛立ちを隠さずに言い返します。
すると、先生は
あなたは絵をどう思っているの!
と、より強い口調で彼女の絵に対する姿勢を質しました。
東京芸大といえば、芸術系では最高峰。
そこを受験しようという彼女に、
厳しい姿勢で先生は指導していました。
そんな厳しい指導に、
高校生のユーミンはいつも喧嘩口調になってしまいます。
リンゴを描くんだったら、
リンゴの裏側まで想像して描きなさい
その言葉の意味が理解出来ず、
は~い
なんて軽い返事を返したことも。
表面だけじゃなく、空気も描くのよ
好きな先生ではありませんでした。
それでも、東京芸大という大きな目標のため、
彼女はこの教室で絵を描き続けていました。
いい? 描けなかったら、
自分のスタイルが見つかるまで描きなさい
先生は芸大に入学させるために、
ただ一所懸命だったのです。
画家の自叙伝なんかも読むといいわね
そんな先生の気持ちは、少しずつ彼女に伝わっていきます。
画家たちの自叙伝や評論なども読むようになり、
それは彼女の画力にもいい影響を与えていきます。
そして、受験。
不合格。
公衆電話から涙声で不合格を知らせてきたユーミンに、
とにかく今から来なさい
と、先生は教室まで彼女を呼びました。
泣いている彼女に、
来年も受ければいいじゃない
と励まします。
浪人してということなんですが、
東京芸大クラスになりますと、
3浪、4浪なんていう人も多いんです。
それでも受かれば万々歳なんですよね。
はい、頑張ります
こう返事をして、
もちろん、そのつもりの彼女でしたが、
実家がそれを許しませんでした。
浪人はせずに、別の美大へと進学します。
そんなある時、街で美術教室の先生を見かけます。
でも、彼女は思わず隠れてしまいました。
あの時、「はい、頑張ります」と答えたのに、
東京芸大を諦めていたから…
別の美大へ進んだ頃、彼女は音楽にのめり込み、
1年生の1972年夏、「返事はいらない」で歌手デビューします。
しかし、たった300枚程度しか売れませんでした。
それでも、彼女は曲を書き続けていました。
表面だけじゃなく、空気を描くのよ。
いい? 描けなかったら、
自分のスタイルが見つかるまで描きなさい
あの時の先生の言葉がユーミンの創作活動の力となりました。
6枚目のシングル「あの日にかえりたい」で初のオリコン1位を獲得。
スターダムにのし上がっていく契機となったこの頃書かれたのが
この「卒業写真」でした。
町で見かけたとき
何も言えなかった
人ごみに流されて
変わって行く私を
あなたは時々遠くで叱って
普遍的評価としては、間違いなく学校での思い出の曲なんですけれど、
松任谷由実さんは、その中に先生への思いを忍び込ませました。
彼女自身も、先生から多大な影響を受けていることを認めつつ、
歌のイメージについては、聞き手の想いに委ねたいとしています。
この曲、歌詞から、人それぞれの絵を描ける、
そんな素晴らしい曲のお話でした。
話しかけるように
ゆれる柳の下を
通った道さえ今はもう
電車から見えるだけ
あの頃の生き方を
あなたは忘れないで
あなたは私の青春そのもの
人ごみに流されて
変わって行く私を
あなたは時々遠くで叱って
あなたは私の青春そのもの
明晩は故忌野清志郎さんの「ぼくの好きな先生」についてお書きします。