私が通った小学校では、
修学旅行先が広島県でした。
主に平和公園と宮島だったでしょうか。
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の前にも
もちろん行きました。
11歳の私は何も疑問を感じませんでした。
大人になって、ようやくこの碑文の奇妙さを
人から教えられた次第です。
安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから
6日産経大阪版にもその話がありました。
国家の自立を考える 68回目原爆の日 編集委員・河村直哉
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130806/wlf13080615430020-n1.htm
誰の「過ち」であるのか?
この時点では既に日本は降伏の意志を示しています。
つまり、米軍はに大量破壊兵器を使用する理由はありません。
さらに性質、構造の違う核兵器を2ヵ所に投下しています。
この「実験」は明らかに戦争犯罪で、
この原爆投下については私たち日本に
過ち
はありません。
今日は広島に原爆が落とされた日。平和公園の記念碑には「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませぬから」と書かれている。原爆が落ちたことを、日本人が謝っている。ここにも自虐思想の一端がある。人類最悪の兵器で一般市民を10万人以上も虐殺したアメリカへの非難は一言もない!
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/364571265081671682
百田尚樹さんのTweetです。
この碑文については設置前から議論があったらしく、
その時の広島市議会で当時の市長は、
原爆慰霊碑文の「過ち」とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している
と述べたそうです。
だったらそう書くべきで、
それ以前に、そうだというのなら、
核兵器によって殺された一般市民数十万人の「過ち」でもあるのか、
そういうことになってしまいます。
だいたい原爆投下の最大の責任者である
トルーマンはそれに同意していたのでしょうか?
この日の夜、マツダスタジアムでは広島・阪神戦が行われ、
鳴り物等を使わない特別な試合でしたが、
両軍には計5人の米国人選手がプレイし、
吉川晃司さんが英国人ジョン・レノンの「Imagine」を歌われました。
私は被曝者でもなく近親者にも被曝者はいないからか、
米国や米国人に対して恨みを持っている訳ではありません。
その時のエノラ・ゲイやボックスカーの乗員についても。
5人の米国人選手に対し、妙な横断幕を掲げる輩もいません。
それが日本人の意識なんだと思います。
(個人的にはトルーマン以下には思うところはありますが)
ただ、はっきりとしておかなくてはいけません。
ラダビノード・パール博士。
彼はインドの法学者でいわゆる東京裁判の判事でした。
1952年11月5日、碑文の前で彼は怒り、
原爆を投下した者と、投下された者との区別さえも出来ないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊も慰められない
と述べたそうです。
戦後ずっと、私たちは常に先の大戦について
過ち
を反省すべきだと教えられてきました。
しかし、その中には私たちの
過ち
ではないものが含まれていることを
教育者は触れておくべきです。
パール博士は
原爆使用を決定した政策こそがホロコーストに唯一比例する行為
とも述べていて、それが私たち責任であるはずはありません。
今後も教員が児童・生徒を引率し、
彼の地を訪れることでしょう。
その時に必ず伝えるべきです。
原爆投下には私たちの
過ち
が関わっていないことを。
![ねてしてタペ ねてしてタペ](http://stat.ameba.jp/user_images/20100124/19/thinkmacgyver/ba/0e/j/o0380014710387375617.jpg)