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軍師官兵衛 第二話「忘れえぬ初恋」その背景 -美濃国の情勢~竹中半兵衛-

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今回、織田信長の美濃攻略にも時間を割いていたのは、
やがて主となる信長を描くためと、
重要人物として描かれるはずの
竹中半兵衛を登場させるためだったのでしょう。
ここでは、それまでの美濃国についてお書きしておきます。


1542年、斎藤道三は主・土岐頼芸ら土岐氏を追放し、
美濃国を手に入れ、頼芸の側室・深芳野を
自らの側室としました。
この深芳野が生んだのが義龍。
しかし、道三は彼を遠ざけ、
弟たちを偏愛していました。
義龍の父は道三ではなく、土岐頼芸ではないか、
という話があります。
事実は不明ですが、もしも、道三、
あるいは義龍がその可能性を感じていたなら、
特に義龍にとって、
道三は父を裏切った仇だということになります。

1548年、道三は娘・濃姫(帰蝶)を織田信長に嫁がせますが、
信長の父・信秀とは敵対関係にあったにもかかわらず、
この婚姻関係を結んだのは、義龍との不仲により、
国内が不穏だったことも関係があるようです。

1555年、義龍は道三が跡取りとして
指名しようとしていた2人の弟を殺害、
道三を追放、そして翌年、長良川にて道三と義龍の軍が対陣。
この時点では、既に道三に従う者は少なくなっていて、
衆寡敵せずの形で、
道三は捕らえられ斬首されてしまいました。
そして、斉藤家と織田信長との同盟関係も終わり、
以後、信長は美濃国を攻めることとなります。
一説には、長良川の戦いの前に、
道三は末子宛てに、信長に美濃を譲るようにとの
遺書を残していたとされます。

1560年、織田信長が桶狭間にて今川義元の軍を破り、
また、徳川家康と同盟し、
東方の憂いを取り除きます。
しかし、信長は美濃を攻めあぐね、
義龍の軍がことごとく跳ね返していました。
しかし、翌年に義龍が病死、
嫡男の龍興が14歳で家督を継ぎます。
龍興は若年でもあり、暗愚で女と酒に溺れ、
能臣を用いなかったと伝わりますが、
ここから旗色が悪くなっていきます。
そんな中、竹中半兵衛(重治)が「十面埋伏陣」にて、
織田軍を撃退しているようです。
十面埋伏は、道の両側に5隊ずつ伏せさせておくもので、
項羽を攻めた劉邦配下の韓信の策として知られ、
三国志にも見られます。




竹中半兵衛、斉藤家家臣・竹中重元の子であり、
菩提山城主だったと伝わりますが、
その実像はわからないことが多いようです。
ただし、彼の活躍は多数伝わってきていて、
もしかすると、次回のドラマでは
そんな彼の姿が見られるかもしれません。
今回の大河の主人公、黒田官兵衛と合わせて、

両兵衛

あるいは

二兵衛

と称されました。
この二人にまつわる数々のエピソードの描写も
今回の大河ドラマの楽しみにしたいですね。





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