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軍師官兵衛 第11話「命がけの宴」 その背景 ~手取川の戦いは本当にあったのか?~

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第一次木津川口の戦いにて、
石山本願寺への補給を図る毛利軍と、
それを阻止せんとする織田軍が衝突、
この水上戦は、水戦により長ける各水軍を
多く抱えた毛利軍の勝利となりました。

織田軍のこの敗戦に、織田についた播磨の領主たちも不安になり、
今からでも毛利方へつこうかと考えたかもしれません。
ドラマでは、その不安を払うべく、
羽柴秀吉の中国方面への進軍を期待していた官兵衞でしたが、
当の秀吉は織田信長に命じられて、
北陸戦線へと出陣していました。

これが手取川の戦いです。
この戦は織田軍の大敗で終わっているんですが、
その要因として挙げられているのが、
早々に秀吉が陣を払ってしまっていたことだとか。


1576年、上杉謙信は能登国へと進発、
これに能登の七尾城主・畠山春王丸、
現実には、彼が幼いということで、
長続連(ちょうつぐつら)が頂点にいました。
七尾城は難攻不落の山城として知られていたそうで、
長続連は上杉軍を籠城でしのごうとします。

年を跨ぐ長期戦となったものの、七尾城内は一枚岩ではなく、
長続連に反感を持っている勢力が上杉と内通、
長続連らは討たれて、落城となりました。

七尾城から援軍の要請を受けた織田信長は、
柴田勝家を北陸へと向かわせます。
既に落城しているとは露知らず、
信長の命を受けた柴田勝家は
安土城から北進していました。
勝家の隊は手取川を渡河、
すると、既に織田軍の接近を察知していた上杉謙信の軍が見え、
ここで初めて、七尾城が既に落城を知ることとなります。
既に戦は負けた状態で柴田隊は敵と対した訳で、
さらに、背後には手取川が。
兵法でいうところの背水。
悪いことは続くもので、豪雨により鉄砲も役に立ちません。
増水する川に溺れる兵たち、
ただ退却するしかない状態で、
上杉軍の追撃に多くの兵を失い、
織田軍の大敗、上杉軍の大勝という結果になりました。

…とはいうものの、この戦の詳細については不明なことが多く、
柴田隊の後には織田信長も出陣していたという話もあります。
上に記したものにしても、上杉側の資料に沿ったものということで、
そもそも、手取川で合戦が行われたかどうかを
疑問視する歴史家も多いようです。
織田側の資料では、「信長公記」で
柴田勝家が出陣したこと、
羽柴秀吉が帰陣したことぐらいしか書かれていないようですし。
この戦が実際にあったとして、
羽柴秀吉がどういう役割で、
彼の隊がいなくなったことがどういう意味になるのかというと、
なおさらよくわかりません。
柴田勝家を救援に行ったのだとしても、
彼が無断で近江に帰らなかったとしても、
この戦の帰結は変わらなかったかもしれませんし。
秀吉隊の数にもよりますが。
勝家と秀吉が不仲であったというのは事実だとしても、
だからといって、突然無断で陣を払って帰ってしまうような、
無分別だったかというと、
どうなんだろうかと思ってしまいます。



二人の間に何かしらの出来事は
あったのかもしれませんけれど。






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