酷い状況になってきた上月城の戦いが描かれているということで、
今回の記事はこちらからの続きの形になろうかと思います。
山中鹿之助"我に七難八苦を与えたまえ"
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11820168368.html
上月城の戦い、細かくは第二次上月城の戦いですね。
第一次は、織田軍(羽柴軍)が上月城を陥落させた時で、
以後、尼子再興軍が城に入り、
そして、毛利の大軍が襲来して始まったのが第二次になります。
織田信長の考えでは、対毛利の前線は
美作、備前と播磨の境だと考えていたのでしょう。
城では福原城と上月城が要になるだろうと。
ところが、加古川評定で別所氏をはじめとする東播磨の領主たちが
毛利方へと寝返ってしまいました。
こうなってしまうと、対毛利の最前線は西播磨ではなく、
三木城のある東播磨になってしまいました。
征西の戦としては、前線が後退してしまったことになり、
上月城の戦略的価値は薄くなってしまったんです。
籠城戦というのは、城に籠もる側から見れば、
ただ、城に籠もっているだけでは、
いずれ物資が途絶えてしまいますので、
外からの援軍を待つという戦術だといえます。
逆にいえば、それがなければただ消耗するだけの負け戦です。
別所氏などの三木城では、毛利軍が来てくれることを信じ、
毛利軍到来に合わせて門を開いて打って出て、
外の織田軍を挟撃するという考えになります。
毛利軍が襲来した上月城では、
尼子勝久と配下、山中鹿之助らが織田からの援軍を待っていました。
城内の尼子軍3000、城に迫る毛利軍は2000、
しかも、まだ西から増派されてきています。
こちらも外からの援軍を待つ以外ない状況となりました。
東播の三木では、毛利方の別所氏が、
西播の上月では、織田方の尼子氏がそれぞれ籠城戦をするという
異様な状態ともいえるんですが、
毛利軍にしてみれば、実は上月城の攻略には
あまり意味を感じていなかったのではないかと思います。
織田側と同じ理窟で、対織田の最前線は東播であり、
東播の三木に少しでも早く駆けつけたかったのではないかと。
しかし、対織田において、その拠点となるのは宇喜多直家の領内。
上月城への攻撃は、宇喜多直家の意向が強く働いたとも言われます。
そうであれば、直家は自らは上月城攻略には動かず、
毛利に攻めさせることに成功したことになります。
上月城を取り囲んだ毛利の大軍は
防塁や塹壕を設けて城内の尼子軍にその威容を見せつけ、
さらに、法螺貝、太鼓、罵声などで士気を下げ、
兵糧攻めへと移ります。
秀吉は荒木村重らとともに、救援に向かいますが、
織田信長から三木城攻略を優先せよという命を受け、
上月への救援には向かえず、
たまらず、京の信長の元へ秀吉は上月城への援軍を願い出ます。
しかし、播磨攻略を最優先とする信長の意向は変わらず、
まずは三木城攻めに集中するという方針が決定的となりました。
織田から完全に見捨てられた上月の尼子軍。
この頃、秀吉から上月城に書状が届いているという話があります。
城を放棄し、脱出せよというもので、
ただ、最大で5万にもなる毛利軍に見つからずに、
城内に使者が入ることが出来たのか、
そして、尼子主従にどのようにして城から出ろというのか、
疑問の多い話ではあります。
ここからは次回以降の話になろうかと思います。
援軍が期待できない籠城戦は負け戦。
羽柴秀吉らが陣を書写山に移してから数日後、
上月城では尼子勝久は配下の兵たちの助命を条件に、
降服して開城、勝久を含め、尼子一族は自刃、
山中鹿之助は囚われてしまいました。
彼は鞆に本陣を構える毛利輝元の元へと移送されますが、
その道中、殺されてしまいました。
その理由は不明ですが、
捕らえられても変わらずに、尼子再興、毛利討つべしと
強い信念を抱いている鹿之助を危険視した吉川元春が
謀殺を命じたという話もあります。
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