上月城の落城については前回お書きしてしまいましたので、
今回はもう一つの「見捨てられた城」
志方城のほうを記事にしようかと思いましたら、
思いの外、よくわかっていないんですね。
そもそも、この大河の櫛橋左京進という人が
よくわかりません。
どうやら、左京進という通称は、
櫛橋家代々の通称らしく、
加えて、左京亮という通称の人もいて、
それが混同されているのか、
両方を使用していたのか、
辻褄の合わない話もあって、
どういう人物なのかよくわからないままです。
ここでの左京進とは、
櫛橋政伊(またただ/まさこれ)のことだと思うんですが、
他に伊則、祐貞の記録もあります。
これらが同一人物なのか別人なのか、
私にはよくわかりませんが…
政伊は伊定の子として生まれました。
伊定についても、則伊だったり、秀則だったり、
はたまた、政朝だったりと様々な名前があり、
同一人物なのかどうかもよくわかりません…
櫛橋氏は居城の志方城の地勢的関係から、
三木城の別所氏に従属しながらも、
龍野城の小寺氏と姻戚関係を結ぶなどして、
両家と良好な関係を築いてきました。
光が黒田家家老・黒田に嫁いだのもそういう理由からでした。
織田信長が毛利氏を攻めるには播磨平定が必要として、
大方の領主たちは織田方についていたものの、
別所長治が離反したことで、
櫛橋家も毛利に着くか、
そのまま織田に味方しつづけるかを決めなくてはならなくなり、
ここで政伊は別所家と命運を共にすることを決断しました。
同様にして、中播磨、東播磨の他4城も織田方から離反、
この事態に、織田軍は軍を西播磨から東へと戻さなくてはならなくなり、
結果、上月城が孤立することになりました。
上月城から織田軍が退いたため、
毛利軍が東進してくるかと思いきや、
ほとんど上月城攻略に専念している状態で、
中播磨、西播磨に毛利の援軍は期待できませんでした。
別所氏とともに織田方から離反した神吉頼定の神吉城が落城、
それからひと月後、櫛橋政伊の志方城も落城しています。
政伊自ら開城したとのことですが、
それは自らの命と引き替えだったとか…
しかし、切腹したのは父・伊定のほうで政伊は生きているとか、
政伊は生きて黒田家に仕えたという話も。
何から何まで曖昧な状態ですが、
ただ、政伊の二人の息子は黒田家に仕え、
娘は黒田八虎の一人、井上九郎右衛門に嫁いでいるのは確かなので、
父親のほうも生き延びて
黒田家に仕えていたのかなとは思います。
軍師官兵衛 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)/著者不明
¥1,134
Amazon.co.jp
軍師官兵衛 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)/著者不明
¥1,134
Amazon.co.jp
NHK大河ドラマ 軍師官兵衛 一/著者不明
¥1,512
Amazon.co.jp
NHK大河ドラマ 軍師官兵衛 二/著者不明
¥1,512
Amazon.co.jp
大河ドラマ 軍師官兵衛 オリジナル・サウンドトラック Vol.1/TVサントラ
¥3,348
Amazon.co.jp
大河ドラマ 軍師官兵衛 オリジナル・サウンドトラック Vol.2/TVサントラ
¥3,348
Amazon.co.jp
別所一族の興亡―「播州太平記」と三木合戦 (のじぎく文庫)/橘川 真一
¥1,620
Amazon.co.jp