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歴史秘話ヒストリア「それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~」 その1

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「戦国無双4」でもプレイヤーキャラとして登場しましたけれど、
彼女は井伊家の当主でした。
男子が家を継ぐという常識の中、
遠江の国人に過ぎなかった井伊家を戦国の世の中で
いかにして彼女は徳川家筆頭にまでしたのでしょうか。


井伊家は遠江国、井伊谷(いいのや)の国人領主で
15ほどの集落を束ねていました。
主は今川家。
直虎は1535年頃、井伊直盛に生まれた娘。
もちろん、直虎は後に名乗る名前ですが、
幼名はわかっていません。
当然、女の子としての名前があったことでしょう。



女にこそあれ井伊家惣領に生まれ候

平安時代から続く井伊家の記録「井伊家傳記」には、
このように書かれています。
惣領は嫡子、跡継ぎのことですが、
本来であれば、女性である彼女が井伊家を継ぐことはありません。
直盛に男子がいないため、直虎が5歳の時に許嫁となった
いとこの直親が家督を継ぐのであろうと、
そう考えられていました。

しかし、直虎が10歳の頃、
直親が井伊家の跡継ぎとなることに不満を持つ家老らの陰謀で、
直親の父が今川義元への謀反の疑いをかけられ、
直親も殺されそうになります。
それに気付いた直親の親族が彼を信濃に逃がし難を逃れますが、
主の直盛はその家老一味を罰することはありませんでした。
家中の混乱を恐れたものと考えられます。

突然、許嫁を失った直虎。
父は直親の所在どころか生死すら明かそうとはしません。
それが井伊家の跡継ぎ直親と
井伊家を守るために必要だと考えたのでしょうか。

しかし、突然、許嫁を失った直虎は、
周囲を驚かせる決心を見せます。
剃髪して出家したのです。
彼女の父母は嘆きつつそれを止めたとされますが、
彼女の決心は固かったようです。

1555年、尼僧となった彼女が21歳の頃、
井伊家から手紙が届きます。
そこに書かれていた内容に彼女は驚かされました。
なんと、直親が生きており、
間もなく戻ってくるというのです。

彼が生きているのであれば、
何のために出家したのか、
既に仏門に入った身であれば、
彼との婚儀も不可能です。
直親は帰国すると、別の女性と結婚、
男子・虎松も生まれました。

しかしも直親が井伊家の家督を継ぎ、
さらには男子も生まれたというのに、
直親が殺されてしまいます。
直親が松平元康(後の徳川家康)に内通したと、
今川家が疑っていたのです。
井伊谷は井伊家が治めていて、
その上に今川家がありましたが、
今川家には井伊谷を直接支配しようという狙いがあったようです。
遠州は混乱に次ぐ混乱で、
「遠州錯乱」と呼ばれるようなそんな時代でもありました。

直親が殺され、井伊直盛は既に桶狭間で戦死していており、
残る男子は虎松のみ。
しかし、虎松はまだ2歳。
そこで直虎が呼び戻されることになります。

この頃、彼女は次郎法師と名乗っていました。
尼僧の名ではなく、男性の僧の名前です。
彼女は男性として出家していたのかもしれません。
当時の禅宗の考えでは、女性が出家すると、
二度と俗世には戻れないという考えがありました。
そこで、井伊家はもしもの時のために、
彼女を男性として出家させていたとも考えられます。
とはいえ、結婚は出来ませんので、
直親が帰国していても結婚は叶わなかったのです。


時は乱世。各地で群雄割拠、
今川家からどれだけ酷い仕打ちを受けていても、
今川家が支配する遠州で井伊谷を守らねばなりません。
井伊直虎はそんな井伊家の主となりました。
この時代の国人領主には、
大名から戦費となる兵糧の供出が求めが繰り返され、
領民たちからは年貢が高いと苦情が出ます。
一揆になってはたまりませんので、
領民たちに酒を振る舞ったりも。
こういった国人領主の中には、
その板挟みに絶えかね、
その土地を売り払った者もいたんだとか。




直虎の署名が見えます。
これは井伊家の主となった井伊直虎の書状。
署名の下に見えるものは花押で、
書き判とも呼ばれるサイン。
当時、花押は身分のある男性が用いるもので、
直虎は男として振る舞おうとしていたのかもしれません。
対外的にも、直虎が女性であることは
あまり知られていなかったようです。
直虎という勇ましい名前も、
井伊谷の領主となってから使用している名前なのでした。

上に今川家を頂き、下に領民を抱える身となった直虎には
政治手腕も求められます。
ある時、耕作が不作で井伊谷の農民が今川家に直訴しました。
今川家は直接井伊谷を治めている井伊家に
徳政令を出すように命じます。
借金を棒引きにしろということなんですが、
それは井伊家にとって出来ることではありませんでした。
経済状態が常に苦しい井伊家は、
商人たちに借金することで切り盛りしていて、
もしも、徳政令を出したならば、
それら商家が破綻し、以後、井伊家は借金が出来なくなります。
かといって、徳政令を出さずにいたなら、
農民たちが一揆を起こすかもしれません。
さらには、今川家の通達に従わなかったことにもなります。
実は、これは今川家の陰謀。
徳政令を出すにしても、出さないにしても、
井伊家を追い込むことで、
井伊谷を奪ってしまおうという考えなのでした。
直虎はいかしてこの危機を乗り越えたのか、
お話は明晩へと続きます…



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