ニュースでは毎日目を覆いたくなるような事件が報じられ、
年々、そういった事件が多くなっているような印象があります。
ちょうど、先々週の「たかじんNOマネー」でも
話題になっていたんですが、
実は年々刑法犯の認知件数は減少し続けているんです。
警察庁のサイトで確認しますと、
1996年から2002年まで年々戦後最多を更新していて、
以後、減少傾向にあります。
「NOマネー」では1958年が酷かったという話も出ていて、
ちょうど「あの頃はよかった」という昭和33年、
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の頃は特に発生率が高かったそうです。
先週のビーバップ!ハイヒール は古典文学のお話。
古典に触れていますと
「どういう話やねん」みたいな話によく出会います。
物語として違う内容に出来たのではないかと考えてしまいます。
「源氏物語」にあるお話。
町で偶然であった女性・夕顔と一夜を共にした光源氏。
目覚めてみると夕顔が死んでいることに気付きます。
光る君は醜聞になることを恐れ、
側近の藤原惟光を呼び出して何とかしてくれと頼みます。
この件は、5年前のある俳優の事件そのものです。
フィクションだから、創作だからというのもあるんですが、
一方で紫式部は「源氏物語」の中でこのように書いています。
日本紀などはただかたそばぞかし
これらにこそ道道しく詳しきことはあらめ
権力者の指示で書かれた日本書紀のような歴史書には、
物語の一面のみが書き記され、
一見フィクションに見える物語にこそ事実があるものだ、と。
脚色はあるにせよ、当時の世相が反映されているのが古典であり、
また、こういった当時の文章は、
現代でいうところのワイドショーや
週刊誌のような存在でもあったことでしょう。
同じく平安時代の「日本現報善悪霊異記」にはこのような話があります。
私は若い頃、とっかえひっかえ男と関係し
淫乱で幼い子を棄て、男と寝た。
長い間、子は乳に飢えていた
これは夜遊び、男遊びがやめられず育児放棄した母親です。
「雲萍雑志」は天保の頃に書かれた随筆。
その中にあるお話。
子を貰い取って飢えさせ
専ら養育費を貪ることばかりしていた
いつとはなしに人が知って
子貰婆とあだ名していた
これは弱者を欺し金銭をむしり取る貧困ビジネス。
残酷な記述もありますけれど、
決して全てが作り話という訳ではなくて、
当時のリアルな現実を反映しているんです。
そういう視点で古典文学を読むと
私たちのご先祖様の時代にあった
思いも寄らない実態が浮かび上がってくるんです
そうお話になるのは、
古典エッセイストの大塚ひかり先生。
この日の番組では先生ご推薦の残酷話が紹介されました。
「舌切り雀」のお話はよく知られています。
心の優しいお爺さんとお婆さんがいて、
ある日、お爺さんが舌を切られた雀を保護します。
その恩返しにお爺さんは小判の詰まった葛籠を貰いました。
それを知った欲張り婆さんは雀のお宿に押しかけ、
強引に葛籠を持って帰ったところ、
中には妖怪や蛇、虫の類いが詰まっていたのでした。
そういうお話。
この原典は、鎌倉時代に成立した
「宇治拾遺物語」の中の「腰折雀」に見られます。
若夫婦が粗相をした老婆を責めています。
「ばあちゃん、また漏らしたのかよ。いいかげにしろよ!」
「汚いんだから、自分で洗濯してよ!」
心根が優しいお婆さんは言葉を返せません。
隣家では食事時、老婆がおかわりをもらおうとすると
「贅沢言わないでください」
「働きもしないのに飯食えるだけでもいいだろ」
これはそんな二人のお婆さんのお話です。
ある日、心の優しいお婆さんは腰の折れた雀を助けます。
「おいおい、年寄りが雀なんかを飼い始めたよ」
と家族からは罵られますが、
お婆さんは甲斐甲斐しく雀の世話を続け、
やがて雀の怪我は治り、お婆さんは山に雀を返すことにしました。
お婆さんの手から飛び立つ雀。
すると、何かが落ちてきました。
種のようです。
お婆さんはその雀からの贈り物を、
地面に植えて大切に育てることにしました。
「ああ、今度は雀の物を宝物にしてるよ」
「ついにボケ始めたのかしら」
やはり、聞こえてくるのは家族の嘲笑。
しかし、やがてその種から瓢箪が出来、
それを振ってみると中から米が出てきました。
しかも、どれだけ振っても米が尽きることはありません。
おかげで一家は大金持ちに。
お婆さんも「長生きしてね」と大切にされるようになりました。
一方、隣の家では、
「あっちの年寄りは役に立つのにこっちは全然役に立たん」
と、それまで以上にお婆さんが辛く当たられていました。
隣のお婆さんは唇を噛んで考えました。
「あの女だけ大事にされて、私だって…」
お婆さんは雀を探し、見つからないので米を撒き、
そこにやって来た三羽の雀に石を投げつけます。
お婆さんは怪我をさせた三羽の雀を家に連れて帰り、
「一羽であれなんだから、
三羽だったらどんな宝物が貰えるんだろう」と楽しみにしています。
お婆さんが世話をした雀たちはやがて元気を取り戻し、
このお婆さんも雀から種を貰うことが出来ました。
その種が瓢箪となり、家族に認めて貰うために、
みんなの前で振ってみることにしました。
しかし、何も出てきません。
そこで手斧を持ってきて割ってみると
中に詰まっていたのは米ではなく毒虫。
お婆さんは毒虫に襲われて死んでしまったのでした。
今知られている「舌切り雀」では、
二人のお婆さんの心の違いに目が行きます。
しかし、原典のほうでは、雀が登場する以前の状態に
私たちは注目することになります。
もしも、隣のお婆さんが家族から疎まれていなければ、
彼女が雀に石を投げることもなかったでしょう。
彼女が欲しかったのはお米でも小判でもありませんよね。
徳川五代将軍綱吉の「生類憐みの令」。
あれはイヌなどの動物を保護するものでしたが、
「人を捨てること」も禁止していました。
老人たちを山に捨てる姥捨山の伝説が
日本中に存在していることからも
人間が人間を捨てていたということが事実であることがわかります。
室町時代の「源平盛衰記」には
遠藤盛遠と袈裟御前の話が出てきます。
芥川龍之介が短編にし、
映画にもなっている有名なお話です。
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このお話については一昨年既に記事にしていて、
袈裟御前と恋塚寺 -文覚・恋塚寺-
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11339656614.html
こちらにもそれを貼り付けておきます。
平安時代も末、遠藤盛遠という男がいました。
鳥羽院の北面武士だったようですから、
平清盛や佐藤義清(西行)と同じですね。
この盛遠、強訴に関わったとして、
後白河院の怒りを買い、伊豆の国へと流されることとなり、
同じく伊豆に流されていた源頼朝と出会い、
話によっては、平氏討伐に対して消極的だった頼朝を
焚きつけたともされます。
そんな遠藤盛遠ですが、
お話は彼がまだ若く京にいた頃の事。
同僚・渡辺亘(渡)の美しい妻に横恋慕してしまいます。
その妻が袈裟御前。
盛遠と袈裟御前は従兄妹なので、
この二人は会ってはいたようなんですが、
ある時、盛遠は袈裟御前に迫ります。
俺の妻になってくれ
そんな事を言われても、袈裟御前は渡辺亘の妻。
彼女はもちろん、拒絶しました。
しかし、盛遠は聞こうとしません。
亘から力ずくでも自分を奪うと言っています。
さらに盛遠は袈裟の母であり、
彼の叔母である衣川に、彼女を妻にすると宣言します。
衣川がそれを認めるはずはありませんでしたが、
盛遠は太刀を抜くと、
俺はこの太刀にかけても望みを叶えてみせる
と息巻いています。
母からその事を聞かされた袈裟御前は覚悟を決めました。
盛遠の熱意に対し、彼女は彼に言います。
私は夫のある身。夫がいる限り、あなたの妻にはなれません。
今夜、皆が寝静まった頃、家までおいで下さい。
夫には髪を洗わせ、酒を飲ませておきます。
夫を殺して下さったなら、
私はあなた様の妻になります。
喜んだ盛遠は約束どおり、
夜半に渡辺亘の屋敷までやって来ます。
月は雲に隠れ、辺りは真っ暗です。
目をこらし、家に忍び込み、
予め袈裟御前に聞いていた亘の寝所まで進みます。
その部屋は既に開け放たれています。
約束どおり彼女が手引きをしてくれている
そう思って中へと進みます。
そこでは渡辺亘が眠っているようでした。
濡れ髪と酒の匂い…、間違いない
亘が眠る寝具の傍らまで来ると、
帯びていた刀を静かに抜き、
一気に胸をめがけて寝具ごと貫きました。
盛遠の手には確実な手応えがありました。
これで彼女は俺の妻だ
彼女を手に入れたことを喜ぶ盛遠、
その彼の横を、憐れな被害者がうめき声を漏らし、
血を流し寝具から這い出てきました。
被害者は庭に倒れ込み、息絶えます。
盛遠は袈裟御前への証として、
その被害者の首を切り落とします。
その時です。
雲間から月明かりが漏れ、
盛遠が手に提げている生首を照らしだしました。
盛遠じゃない。人違いだ。
しかも、
これは…、女か?
盛遠が気付いた時には時既に遅し、
彼が殺したのは、愛しい袈裟御前だったのです。
それは袈裟御前の命を捨てた謀でした。
夫や母の代わりに殺されることを選んだのです。
その場から慌てて逃げ去った遠藤盛遠が
次に考えたのは渡辺亘のことでした。
このままでは亘に殺されてしまう。
殺されてなるものか。先に俺が亘を殺してやる
仇討ちで殺される前にと、
渡辺亘を討つべく、
再び、彼の屋敷まで行きますと、
意外にも亘自身が彼を待っていました。
しかも、彼は盛遠の罪を問わないと言っています。
その裁きは神仏がなさる事
と言い、彼自身も出家する、と。
無頼漢の遠藤盛遠も、
やっと自分の罪深さを悟ります。
彼は出家することにしました。
その法名が文覚です。
彼は一つの塚を建てます。
それが恋塚。
恋塚寺は京都市伏見区にあります。
恋塚寺
http://www.geocities.jp/koiduka_dera/
以上が再掲になります。
そういえば、赤池という地名もありますね。
私が知る限り、もう池はないと思うんですが、
昔は池があったんだそうで。
その池の名前が赤池だったんですね。
なぜ、赤池か。
袈裟御前の生首をここで洗った時、、
あるいは彼女の首を切り落とした刀を洗った時に、
池が血の色で真っ赤に染まったからだということです。
…残酷な昔話は明晩も続きます。