こちらからの続きです。
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「安寿と厨子王丸」として知られる童話。
これも現代人としては、
童話としてどうかいうぐらい酷い話ではあるんですが、
この元となる江戸時代に成立した説話「さんせう太夫」は
さらに悽惨な内容のお話となっています。
なお、このお話は森鴎外が「山椒大夫」として小説にし、
映画にもなっています。
名画なのでご覧いただきたいところですが、
元の「さんせう太夫」よりはかなりマイルドです。
平安時代も末の頃のお話。
岩城の判官正氏の正妻とその子、姉の安寿とその弟・厨子王。
妻と子らは陥れられて奪われた所領の領有の許しを
帝から得るために京へと向かいます。
越後に差し掛かった時に、
三人は人買いに欺されて捕まってしまい
姉と弟は丹後へ、二人の母は佐渡へと売られてしまいます。
姉弟を買ったのは山椒太夫という長者で
過酷な労働を強いられた彼らでしたが、
それを村人たちは気の毒に思い手助けしてくれました。
しかし、それがかえって徒となり
さらに厳しい労働を課せられることになりました。
少しでも気に入らないことがあると、
食事を与えないなどの罰を受けていた姉弟は、
示し合わせて逃亡を図りますが発覚してしまい、
姉は額に焼きごてを押しつけられてしまいました。
彼女の叫び声を肴に酒を飲む山椒太夫。
山椒太夫の息子・三郎もそれを見て面白がり、
自らも焼きごてを手に取り、厨子王の額に押しつけました。
悲鳴を上げる厨子王に山椒太夫は
「熱いのか? ならば冷やしてやろう」と、
水を張った桶に厨子王の頭を何度も何度も沈めます。
さらには二人の髪を切り刻み、
火あぶりにもして山椒太夫は愉しみました。
その後、厨子王は逃亡に成功。
しかし、自分を逃がし、後に残された姉が気がかりです。
厨子王は天王寺で働くようになり、
たまたま訪れた大臣の目に留まって養子になりました。
やがて義父に代わって帝の側に出仕するようになると、
彼の生い立ちを聞いた帝は憐れに思い、
父の旧領の奥羽国の所領が認められるところでしたが、
厨子王の願い出により、
厨子王は丹後の地の所領の許しを求めたのでした。
奥州と丹後は厨子王が治めることになり、
彼は山椒太夫を呼び出しました。
厨子王は姉・安寿の所在を尋ねます。
しかし、既に安寿はこの世になく、
山椒太夫の息子・三郎が厨子王の逃亡先を聞くために拷問、
殺してしまっていたのでした。
怒る厨子王でしたが、なぜか彼は山椒太夫に領地を与えると言い出しました。
「広い国がいいか、狭い国がいいか」と尋ねると、
「広いほうがいい」と三郎か返します。
「ならば、広い黄泉の国ではどうだ」と
彼を頭だけ出して地面に埋め、
鋸引きにして殺そうとします。
厨子王が処刑執行人に選んだのは三郎でした。
三郎に鋸を手渡すと父の首に当てて引くように命じます。
三郎に親殺しをさせようというのです。
三郎はそれを実行し、三郎の父の首は胴から離れました。
さらに厨子王は三郎も父親と同じように埋めますが、
道端に埋められた三郎は通行人に鋸で首を切られていきます。
三郎の首が落ちたのは七日七晩後のことでした。
彼らの死体は簀巻きにされて流されたといいます。
番組の中のものだけではまだマイルド気味でしたので、
手元の資料からも加えつつお書きしてみましたが、
もっと登場人物が多く、
細かいところではまだまだ残酷な表現があります。
これも人買いという商売があったこと、
そして、彼らは没落した貴族やその家族を売り買い、
または拉致するなどして
金儲けしていたという事実があるからなんですね。
それと処刑方法と刑罰の内容も当時と
それよりも過去の現実が反映されているのでしょう。
残酷な話はあと一晩続きます。
次回は「古事記」の英雄・ヤマトタケルの予定ですが、
明晩は記事の作成をお休みさせていただきます。