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「飴を買う女」

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 その五月雨の夜は雨こそ小降りになっていたが妙に冷たい風が吹いている。
飴屋の徳兵衛は戸締まりしたはずの店の中に夜気を感じ、埋火から手燭に火を移し、風を感じる上がり口に下りようとしていた。
たしかに戸締まりはされていた。しかし、風はここから入ってきているのも間違いないようだ。
 徳兵衛がそう思った時だ。
 ドンドン!
 徳兵衛は腰を抜かしそうになったが、すぐに戸を叩いた主の声で我に返ることになる。
「飴をお願いします」
か細い女の声だった。
 なんだお客か。こんな雨の夜更けに飴が欲しいだなんて、変わった人もいるもんだ。
「相すみません。うちはもう店じまいしてしまいまして。また明日いらっしゃってくださいませんか」
 朝が早い徳兵衛はもう風の事なんかどうでもよくなっていて、はやく床に就きたくなっていたのである。
「今すぐ飴が入り用なんです。少しだけでも構いません。飴を分けてはもらえないでしょうか」
 小さな声なのになぜだかはっきりと聞こえる女からは、切羽詰まった調子が感じられた。
「どうか、どうか」
 こんなに飴を欲しがるだなんて、一体、どういう理由なのだろうか。
徳兵衛は潜り戸を開けてみる事にした。
「ありがとうございます ありがとうございます」
 女は頭を下げ続けたままで礼を言っているが、濡れた長い髪が顔のほとんどを隠してしまっている。
傘は差していなかったらしい。そして白い着物。この薄着は寝間着なのか。こんな姿で雨の中、ここまで来たのだろうか。
「これで飴をお願いします」
 女の青白い手には一文銭が一枚乗っていた。
 徳兵衛のこの飴屋は、表通りにあるような大店にも水飴を納めていて、最も安い小壺入りのもので一朱の値を付けている。
「一文で、ですか。この店には一文で売れるような飴はありませんよ。他を当たられてみてはいかがでしょう」
 女は突き出した手に一文銭を乗せたまま、懇願し続ける。
「そんな…。わたくしが幼い頃、ここの飴を買ってもらって、その時のとても美味しかった思い出がありましたので、ここまで出向きましたのに…」
 徳兵衛は嬉しかった。
 子供の頃に食べたうちの飴の味を覚えていてくれているのである。
「それじゃあ、これでどうでしょう。本来壺売りしかしないのですが、その一文でこちらの平串に練った水飴一本。これなら売って差し上げられます」
 徳兵衛にとっては一文の徳にもならないが、たまには儲けにならない商いがあってもいいかとも思う。
「本当ですか。ありがとうございます。ありがとうございます」
 徳兵衛は平串に水飴を巻き取り、女に手渡す。
徳兵衛には一文銭が手渡された。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
 下げていた頭を腰を折ってさらに深く下げ、女は帰っていった。
 今、何刻ぐらいだろうか。徳兵衛は思った。朝には飴の仕込みもある。そのためには少し でも寝ておかなければならない。
徳兵衛が寝間に入った頃、外の雨は止んでいた。

 次の夜。昼間は五月晴れだったが、日が暮れてから静かな雨が降り始めている。徳兵衛が店じまいを済ませた頃、またその女はやって来た。
 女は小さな声で飴を売って欲しいと言っている。ただ昨夜よりもさらに消え入りそうな声だ。それでいて、やはりなぜか女の言葉は聞き取れている。
 女はまた一文しか持っていなかったが、徳兵衛はそれを受け取りこの夜も水飴を女に手渡す。
 徳兵衛は女に何か事情があるのかと問うた。 しかし、女はただ礼だけを言い、この夜も小雨の闇の中へと消えてしまうのだった。
 そんな夜が始めの夜から数えて六晩続く。そして七度め雨の夜の事である。徳兵衛の店に現れた女は
「今夜はこちらで飴を分けてはいただけないでしょうか」
 徳兵衛は驚いた。見れば女は着物を差し出していたからである。
「まさか、お金がないと」
「お恥ずかしい限りでございます」
 恐縮する女から徳兵衛は着物を受け取り、飴を手渡した。
 仔細を聞こうとする徳兵衛だったが、それにもただ頭を下げるのみである。
 しかし、徳兵衛には女が去り際にこれまでよりも繰り返し深々と頭を垂れていたような気がした。

 朝、軒下に吊るしてあった女の着物を見て徳兵衛は気付いた。
 その着物は娘が着るような小袖だったが、梅園に降る雪と梅の花があしらわれていて、今は濡れてしまってはいるものの、とても一両や二両ではあつらえる事は出来ないように思えた。
「旦那様、こちらです!」
 小袖を眺めている徳兵衛の背後から声がして、振り返ってみれば、そこには見知った男が二人立っていた。
「参州屋の旦那じゃありませんか。こんなに朝早くにこんな所で何をしておいでなんです?」
 参州屋は江戸でも指折りの海産物問屋で、徳兵衛はこれまで何度か飴を納めめていた。 その参州屋が手代の与助とともに朝から徳兵衛の店まで出向いてきているのである。
「あの小袖です。間違いないと思います」
与助が吊るしてある小袖を指差しながら徳兵衛を睨んでいた。
「徳兵衛さん、あんたこの小袖をどこで手に入れなさった?」
 参州屋の手代は朝の出がけに徳兵衛の店の前を通った時、軒下にこの小袖を見つけ、慌てて主に報せたのだった。
「事と次第によっては出る所に出てもらいますよ」
 詰問口調の参州屋に訳が分からない徳兵衛は昨夜の事と、それまでの夜の事を話して聞かせた。
「まさか、そんな事が…」
 参州屋は目を見開き、口を閉じられないでいる。
「旦那様、確かめなければなりません」
与助が言うと
「そうだな」
と、参州屋が賛同するよりも早く、与助は小袖を引っ掴んで駆け出してしまっていた。呆気にとられている徳兵衛に参州屋は
「徳兵衛さんも一緒に来て下さい」
 もちろん、訳が分からないままの徳兵衛は頼まれなくてもそのつもりであった。

 参州屋に連れられてやって来たのは寺の墓場だった。もう与助が墓を掘り始めている。
徳兵衛には分からない事ばかりだった。なぜ与助は墓を暴き、棺桶を開けようとしているのだろうか? ただ、徳兵衛はそこを注視しない訳にはいかなかった。
「開けますよ。よろしいですか」
 参州屋が与助に無言で頷くと、意を決した与助が棺桶の蓋を開けていく。
 白骨の遺骸が見えたが、それよりも徳兵衛を瞠目させたのは、その遺骸が抱えていたもののためだった。
 小柄の女に見えるその遺骸は座っていたが、 白骨の両腕で抱き、頭蓋骨の頬を乗せていたのは、丸々とした赤ん坊だったのである。
「こんな事が…」
 徳兵衛と与助が異口同音に呻き声を漏らす。
「私の娘、お梅です」
 参州屋が徳兵衛に説明する。
 昨年、ただ一人の子、梅は婿を取ったが、病で亡くなっていたのだ。
 参州屋は梅が娘の頃、大層気にいっていたあの小袖を棺桶の中に入れている。
 その時、梅は身重だったというが…
「どうしてこんなことが…?」
 徳兵衛には目の前で起きている事が夢幻のように思えたのである。
 梅は赤子を身籠もったまま亡くなり、棺桶の中で子を産み、この子を育てていたのだ。
乳を与えねばならない。だが乳が出るはずもない。夜な夜な徳兵衛の前に現れ、水飴を求めていったのは、乳の代わりにしようとしたのだろう。
「一文銭…」
 少し正気を取り戻した徳兵衛には思い当たる事があった。
「参州屋さん、もしかすると、この棺桶の中に六文銭をお入れになりませんでしたか?」
 参州屋が徳兵衛のほうを向いて答える。
「そういえば、三途の川の渡し賃として一文銭を六枚…」
「お嬢さんはそれを一枚ずつ、飴に変えていたのでしょう」
「この子のためにけっして三途の川は渡らぬ、成仏はせぬ…、という事か」
「それがお嬢さんのご覚悟だと、私はそう思います」
 そして、銭が尽きたため、一緒に棺桶に入れられていた小袖を持ち出したのだろう。あるいは、母として力尽きる前に、皆をこの場所まで導くつもりだったのかもしれない。
 参州屋は棺桶のほうに向き直り、娘の遺骸から我が孫を抱き取り、娘に誓うのだった。
「この子は必ずわしが立派に育ててやる」と。
赤ん坊が大きな泣き声を上げた。
 その時、お梅の頭蓋骨が、ガラリ、と音を立てて棺桶の底に落ちる音がした。


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