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成田山大阪別院明王院とひらパーの関係 -身近にある歴史-

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成田山へ行ってきました。
子供の頃は、成田山といえばここのことで、
大人になってからここが千葉の成田山新勝寺の別院であることを知りました。
こちらは1934年に開かれた大阪別院明王院ですね。

この寝屋川市の成田山大阪別院明王院へはクルマの他に
京阪本線香里園駅から徒歩15分と案内されています。
この香里園という地名は、
元々の地名「北河内郡友呂岐村大字郡」の群を「こおり」と読んでいたことからです。
それがなぜ香里園となったのか。



現在の大阪別院明王院の山門をくぐり、
手水舎を過ぎると左手にこのような碑が目に入ります。
京阪電鉄は沿線に遊園地を作ろうと計画したことがありました。
その際、「大字群」ではということで、
当時、兵庫県西宮市で人気だった香櫨園(こうろえん)遊園地にあやかり、
新しい遊園地は香里遊園地とすることとしました。
この香里遊園地が開園したしたのが1910年。
しかしながら、この遊園地は人気がなく、
わずか数年で移転となりました。
その移転先が枚方市。それが通称ひらパー、ひらかたパークとなりました。






香里遊園地だったその周辺は住宅地となりましたが、
これも今ひとつ上手くいきません。
その理由の一つとされたのが鬼門でした。
京阪電鉄の大阪市から見ると、
この辺りは艮、北東にあたります。
香里遊園地の失敗のこともあり、
この鬼門除けとして寺社をということで、
その前では鬼さえ改心するとされる不動明王、
それを祀る成田山新勝寺に依頼して別院を開くこととしました。
したがって、こちらでも節分では大きな催しとなりますが、
新勝寺同様「鬼は外」はなく「福は内」のみの声が聞かれます。
住宅街となってから、「香里園」と呼ばれるように。
この大阪別院の周りにはあまり商店がなく住宅ばかりの街に
唐突に大きなお寺があるのは、
こういった事情から開創されたお寺だからということが理由なのでしょう。
子供の頃、京阪電鉄の車両の中に成田山の御札を見つけて、
どこの電車でもこういうものがあるものだと思っていましたら、
珍しいことであることを大人になって知りました。

成り立ちも興味深いお寺ですが、
実際にお参りしてみますと他のこれぐらいの大きな規模のお寺では
なかなか体験出来ないこともありました。
誰でも本堂の中に入れて、御本尊を拝めますし、
有り難い読経も聞くことが出来ます。
初詣の時期なので、参拝者数は多かったものの、
本堂の中はさほどでもありませんでしたので、
これは非常に勿体ないことだと思いました。
それと、奥の院。ここも参拝者数よりは人が少なく、
これも勿体ないと思いました。
この奥の院には生まれ年ごとの守り本尊が祀られています。



そこが横坑の中なのが面白いです。
このお寺は交通安全祈願で有名で、
だから、京阪は車両の中に御札があるんでしょうけれど、
お寺ではクルマごと祈祷を受けることが出来ます。
私が見た時には、何千万円もしそうな白いフェラーリもありました。



新四国八十八ヶ所もあります。
それぞれをお参りすれば88ヵ所を巡ったことになるというもの。
私は「第一番 弘法大師」に



手を合わせてきました。
それと、ここでは毎年の節分祭には朝ドラの出演者が豆まきに訪れるなど、
芸事にも関わりがあるらしく、



笑魂塚というものもあり、吉本興業、松竹芸能などの他、
在阪各放送局、広告代理店の名前もありましたね。
そして、この場所ではありませんが、少し離れたところに
吉本せいさんの献納の印を見つけられたのも嬉しかったですね。



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