阪神淡路大震災の被災地は広域にわたりますが、
特に注目されたのが神戸でした。
他所の人間として、神戸の街を歩いている限り、
復興は既になされているように見えます。
しかし、復興に置き去りにされた人、
復興事業がもたらした人災に見舞われた人もいます。
たとえば、災害復興公営住宅にはまだ2万世帯が暮らしており、
その高齢化が問題化し、借上住宅の場合、
その契約期間の20年が過ぎようとしています。
50歳で被災すれば現在は70歳、60歳の時なら80歳です。
収入はあっても年金だけという人たちに、
神戸市や兵庫県は退去を求めています。
そういう現在の災害復興公営住宅では、
孤独死が問題にもなっています。
神戸市は復旧ではなく復興だとして、
街の再開発を進めました。
その中には良い現在をもたらしたものもありますが、
商業ビルを建てたものの、シャッターが閉じたままの店舗だらけの場合も。
神戸市が主導した復興事業の中には
直接復興とは関わりのない事業も多く、
たとえば神戸空港建設計画時には、
当時の笹山市長はこの計画を「復興の希望の星」と言い切りました。
そんなお金を使うならと、反対運動もありましたが、
空港は建設され、反対派の心配どおり、
当時の市長の約束であった「税金は使わない」は事実上反故にされ、
現在に至ります。
復興事業について、赤字か黒字かは二の次であり、
問われるべきは被災者にとってプラスとなったか、
それだけの経済効果をもたらしたかだと思います。
神戸空港の場合はどうだったでしょうか?
復興から取り残された人たちの生活よりも、
それは優先されるべき事業だったでしょうか?
東日本大震災でも、震災復興とは関係の薄い事業、
それは日本全国のみならず、
海外でも復興予算が用いられました。
大災害からの復興と災害に強い国土を作ることは、
被災者とそれ以外の国民にも利益となります。
不景気下である現在なら、尚のこと、
その経済的意義にも期待したいところです。
しかし、その予算を投じる事業、
その投入の仕方などにはもっと考えられて、
議論されて然るべきだと思います。
↧
1995年1月17日の阪神淡路大震災から20年 未だ出口が見えぬ復興も
↧