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1995年1月17日の阪神淡路大震災から20年 未だ出口が見えぬ復興も

阪神淡路大震災の被災地は広域にわたりますが、
特に注目されたのが神戸でした。
他所の人間として、神戸の街を歩いている限り、
復興は既になされているように見えます。
しかし、復興に置き去りにされた人、
復興事業がもたらした人災に見舞われた人もいます。
たとえば、災害復興公営住宅にはまだ2万世帯が暮らしており、
その高齢化が問題化し、借上住宅の場合、
その契約期間の20年が過ぎようとしています。
50歳で被災すれば現在は70歳、60歳の時なら80歳です。
収入はあっても年金だけという人たちに、
神戸市や兵庫県は退去を求めています。
そういう現在の災害復興公営住宅では、
孤独死が問題にもなっています。

神戸市は復旧ではなく復興だとして、
街の再開発を進めました。
その中には良い現在をもたらしたものもありますが、
商業ビルを建てたものの、シャッターが閉じたままの店舗だらけの場合も。
神戸市が主導した復興事業の中には
直接復興とは関わりのない事業も多く、
たとえば神戸空港建設計画時には、
当時の笹山市長はこの計画を「復興の希望の星」と言い切りました。
そんなお金を使うならと、反対運動もありましたが、
空港は建設され、反対派の心配どおり、
当時の市長の約束であった「税金は使わない」は事実上反故にされ、
現在に至ります。
復興事業について、赤字か黒字かは二の次であり、
問われるべきは被災者にとってプラスとなったか、
それだけの経済効果をもたらしたかだと思います。
神戸空港の場合はどうだったでしょうか?
復興から取り残された人たちの生活よりも、
それは優先されるべき事業だったでしょうか?
東日本大震災でも、震災復興とは関係の薄い事業、
それは日本全国のみならず、
海外でも復興予算が用いられました。

大災害からの復興と災害に強い国土を作ることは、
被災者とそれ以外の国民にも利益となります。
不景気下である現在なら、尚のこと、
その経済的意義にも期待したいところです。
しかし、その予算を投じる事業、
その投入の仕方などにはもっと考えられて、
議論されて然るべきだと思います。





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