私にとって「落語家」「噺家」という言葉で、
誰よりも先にお顔が思い浮かぶのが桂米朝さんです。
息子さんの米團治さんが仰るように、大往生されたのでしょう。
89歳というご高齢であり、
お見かけすることもなくなっていましたので、
心配でしたけれど、とうとういらっしゃらなくなりました。
私が一番好きな噺家さんは米朝さんで、
次いで桂枝雀さんでした。
桂枝雀 「代書」~計算された「緊張の緩和」~ -落語動画-
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11775649132.html
これで師弟お二人とも、
高座に上がられることはなくなってしまいました。
この桂米朝という名跡は亡くなられた彼で三代目なんですけれど、
元々は前座名ということなんですね。
先々代、先代は米朝を経て大名跡・桂米團治を名乗っていますので、
おそらくは亡くなられた米朝さんも、
元々はそういう話だったのではないでしょうか。
結局、米團治を含めて、米朝さんは一度も他の名を名乗ることなく、
米團治の名前は
息子さんでお弟子さんの当時の小米朝さんに名乗らせ、
ただただ米朝という名前を、至高のものにして、
初めて米朝という名前で旅立たれた訳です。
上方落語会にとっては神様のような方です。
戦後、演芸は漫才などに圧されて、
落語は下火の演目だったようです。
落語家の数も少なく、まずはそこからと、
多くの弟子を抱えられました。
それが今や70名以上、物故者を含むと80名を超えるのではとのこと。
それと、演目ですね。
落語にも流行り廃りがあり、
時代とともに、誰もやらなくなっている噺が出てきます。
米朝さんは意欲的に、そういった噺を掘り起こして、
現代人が楽しめるようにして、
高座に掛けてこられました。
今の落語界があるのも、
米朝さんたちの功績のおかげなんですよね。
そういった埋もれていた噺の中でも、
とりわけ彼の芸が楽しめるのがこの「地獄八景亡者戯」。
「じごくばっけいもうじゃのたわむれ」と読みます。
江戸では「地獄巡り」と呼ばれるもので、
元々は200年ぐらい前に起源があるようです。
まあとにかくとにかく長い。
長いので上のDVDとCDにはこの演目のみが収められています。
一時間を超える大ネタで、噺家の実力も当然ながら、
その体力も精神力も必要とされます。
私の一番の心残りは、
生で彼のこの大ネタを聞けなかったことですね。
晩年にはもうなさらないと仰ってましたし。
なんだかんだで地獄へ行くことになった亡者たちの珍道中の噺で、
旅物の変わり種ともいえます。
なんでも、地獄には御堂筋ならぬ「冥途筋」なるものがあり、
いろいろな催し物で賑わっているんだとか。
代々の市川團十郎の揃い踏みというのは豪華でいいんですが、
皆が皆、成田屋なのでややこしいとか。
寄席にはこんなことが書かれているそうです。
桂米朝 近日来演
恐ろしいはずの地獄を笑い飛ばしている噺です。
もしも、地獄というものが実在していても、
桂米朝さんがいらっしゃるとすれば、
この噺のように、ただ恐ろしい場所ではないのかもしれません。
私がその地獄へ行けるなら、冥途筋にあるらしきその寄席で、
三代目桂米朝・二代目桂枝雀
の師弟二人会を見たいですね。