たいへんめでたいですね。
国際記念物遺跡会議(ICOMOS)は近代産業遺産群として
8県の23施設を世界文化遺産に登録するよう勧告を行いました。
ただ、韓国がお門違いの反対運動を行っているため、
まだまだ決定的とは言えませんが、
これで土壇場で不可になると、
日本国内の嫌韓ムードは相当なものになりそうです。
何がお門違いかといいますと、
近代産業遺産群は1910年以前の話。そこに強制的に朝鮮の方の労働が行われたとかいうことではない
という下村文部科学大臣の言葉一つで説明出来ることですね。
韮山反射炉のお話。
人類の文明には金属の進歩が大きく関わっています。
青銅器の集団と鉄器を使える集団が争えば、
もちろん、鉄器が有利なので、その人たちは生き残ることが出来ました。
近代においてもそれは同じで、
福澤諭吉は「鉄は文明開化の塊なり」と言い、
ドイツ帝国初代宰相も「国家は血なり鉄なり」と言っていますね。
今回勧告の近代産業遺産群にも製鉄関係が多数含まれています。
(関係ないんですけれど"血なり"についてはほぼ目にしませんね)
日本でも製鉄は平安時代半ばぐらいから行われていて、
戦国時代になると、鉄砲が量産されています。
鉄といっても、その精度によって強度などに大きな幅があるんですけれど、
日本の場合、徳川時代諸外国との交流が限られていたこともあり、
高度な鉄の製錬技術を持ってはいませんでした。
1840年、天保11年に清国で阿片戦争が起きます。
この戦争で清国は英国に大敗する訳ですが、
この時、日本の開明派は危機感を覚えたわけです。
阿片戦争では、もちろん英国軍も清国軍も大砲を持ち合わせていた訳ですが、
その性能は全く別物でした。
何しろ、飛距離が違います。ついでに砲弾も着弾して炸裂するものでした。
それまでは砲弾はその重量を攻撃力としたものだったんですね。
海上の遠方からそんなものを射ちまくられては、
地上の清国軍も手も足も出ません。
中国といえば、日本にとっては先進国で、
古来より大陸から様々な文化を取り入れてきました。
そこが為す術もなく負けて、領土を奪われたのです。
間もなく日本も、と考えるのは自然です。
そのためにはどうすべきか、
それを考えた人たちを弾圧したのが蛮社の獄で、
弾圧された「尚歯会」のメンバーの中に
伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍がいました。
日本での最後の戦らしい戦といえば、大坂夏の陣で、
それ以後は家光時代の島原の乱、
蛮社の獄前の大塩平八郎の乱ぐらいで、
日本では実用的に大砲を使用することはほとんどなかったんです。
砲術や大砲についても、戦国時代からのものを受け継いできていて、
もしも、この天保の頃に外国船から砲撃を喰らって、
諸外国がその気ならば、日本は占領されていたはずです。
尚歯会のメンバーはそれに気付いていて、
現実にペリー艦隊もやって来ました。
江川英龍などは西洋砲術の必要性を感じ、
また、海上の船にまで砲弾を届かせるだけの大砲が必要だと考えました。
敵の大砲と同じかそれ以上の射程が自軍の大砲になければ、
戦力にはなりません。
遠くへ砲弾を届かせるためには、
強い爆発力が必要となる訳で、
しかし、従来のたたらでの製鉄技術で作られた大砲では、
砲の中での爆発に砲そのものが負けてしまうこととなります。
大砲そのものが爆発してしまっては兵器にはなりません。
それを可能にするために建設されたのが韮山の反射炉です。
反射炉は熱を生み出す炉と、
鉄の精錬を行うための炉床が別になっているのが特徴で、
炉で生み出させた熱を内壁に反射させて炉床に集約し、
たたらでは利用出来なかったより高い温度での製鉄を可能にしています。
鍋島藩、薩摩藩、水戸藩なども同様の研究をしていて、
それぞれが独自に反射炉を作ろうとしました。
これらが日本における洋式製鉄の始まりとなり、
製鉄においては、効率性などの問題で
反射炉は使用されなくなっていきますが、
二百数十年間の鎖国、突然、外敵に備えることになった日本、
西洋の異次元の技術を目の当たりにしても、
それで勝てるはずはないと諦めるのではなく、
自分たちたちだけで同じかそれ以上ものを作ろうと考え、
それを実現していった50年間が、
このICOMOSの勧告になったということになります。
そして、技術力や精神は
現代の技術立国日本へと繋がっていくわけです。
太郎左衛門は江川家当主代々が名乗る通称ですので、
彼個人を指したい場合は英龍、
あるいは号の坦庵を使用することとなります。
それにしても、この江川英龍、
今までも何度かこのブログでも登場していると思いますが、
知名度が今ひとつなんですよね。
どなたか小説でもドラマでも形にしていただけないものでしょうか?
真の英傑というのは彼のような人物であろうかと。
私は水戸や長州、新撰組のような
考える前に突っ走った志士たちよりも、
現実に可能な方法で、諸外国に当たろうとしていた彼に共感します。
元々はただの代官に過ぎませんが、
ただの代官が幕府の国防に関わってただけでも異例中の異例です。
その国防に関しては鳥居耀蔵の妨害がなければ
もっと活躍出来ていたでしょうし。
韮山でも公平無私な人物として領民から「世直し江川大明神」と呼ばれ、
領内にまだほとんどの人が知らなかった種痘を接種させてもいます。
農政改革のためには二宮尊徳なども招聘していますし、
今も東京に残るいわゆる「お台場」、
品川台場は海防のために彼らの献策により砲台として造成されました。
軽いところでは、日本で初めてパンを焼いて食べたとされるのが
英龍ですね。それで、日本のパン業界で敬われているとかなんとか。
これを機会に、彼の知名度が上がればと期待しています。
私にとって、理想の政治家といえば、
第一に挙げたいのが江川太郎左衛門英龍、坦庵です。
これまで林子平の「海国兵談」についてもたくさんお書きしてきていて、
こういうものを書く度に、
今の時代でも、彼らに学ばねばならないと思こととなります。
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