大涌谷で噴火警戒レベルが引き上げられました。
しかし、立入制限が設けられているのは
大涌谷周辺の半径300mのエリアに限られ、
これは箱根町全体の0.3%の面積に過ぎないとか。
大涌谷が楽しみでということなら、仕方ありませんが、
火山学の専門家も「大規模な噴火の可能性は低い」としていますし、
無用な心配でキャンセルされる必要もないかと思います。
1991年、長崎県の普賢岳から火砕流で死者が出ました。
この火砕流は93年まで続き、この年にも犠牲者が出ています。
当時、やしきたかじんさんがテレビやラジオで仰っていたのが
地元の人は、普賢岳のことを"雲仙普賢岳"とは言うてはらへんねんて
でした。
誰に頼まれた訳でもないのに現地に何度も足を運ばれ、
被害とは無関係な地域の宿泊施設の惨状をご覧になりました。
当時の鐘ケ江市長にもお会いになっていますが、
鐘ヶ江さんも何者かわからず応対されていたとのこと。
マスコミが"雲仙の"、"雲仙が"、"雲仙普賢岳で"と連呼することで、
旅行者がいなくなってしまったんですね。
現実には、雲仙天草国立公園に普賢岳も含まれ、
普賢岳も雲仙ではあろうかと思うんですが、
たかじんさんは、雲仙全域が危険だと思われてしまい、
被害の心配のない場所まで、
旅行者がいなくなったことを問題視しておられたのでしょう。
1時間番組まるまるこの普賢岳の被害と、
当時の海部首相や橋本大蔵大臣などの政府の無策
人災である風評被害の現状に費やしておられたこともあります。
その中で、現地に遊びに行くことが
雲仙のためになるとも仰っていたでしょうか。
たかじんさんが亡くなられた時、
現地の旅館の女将さんの悲しみのお顔を思い出します。
女将さんによりますと、
たかじんさんが関西のテレビ局で風評被害について叫び続けられて以後、
客足は回復したんだとか。
その後もたかじんさんはこの旅館にいらっしゃり、
その際、女将さんは恩人だからと
頑として料金を受け取らなかったとのことですが、
たかじんさんはたかじんさんでそれに対抗して、
部屋の中にポチ袋を隠して出て行かれていたんだとか。
お元気だったなら、今、
きっと福島の風評被害について言及しておられたと思います。
反原発信者の中には、福島をフクシマとして、
嘘をついてまで貶めようとする連中がいます。
政府が意味のわからない基準値を使用しているとはいえ、
それでも規制されているのはほんのわずかのごく一部です。
放射脳のおかげで、
福島県でもごく一部の地域にのみ制限が設けられているのに、
福島全体、福島の農産物が危険であるかのように、
考えている人が今でもたくさんいます。
今でも、ろくに知ろうともしないで、有名人がテキトーに軽々しく、
風評被害の種をバラ撒いています。
こういう人たちには悪意がないからこその厄介さもあります。
勝手ながら、たかじんさんは
そういう事に黙っておられない方だったと思っています。
現在の大涌谷。
普賢岳のような事態にはならないと思います。
しかし、地元は風評被害対策に必死です。
マスコミも普賢岳の時とは違い、
現地の観光産業に一定の配慮をした報道を行っているようです。
大事にならないとは思いますが、
それと同時に、無用な風評被害が出ないことを願っています。