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ビーバップ!ハイヒール「関西人も知らない大阪」地名のルーツその4 ~松屋町・日本橋・黒門市場~

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http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-12122469418.html

まだ続いております

関西人も知らない大阪 ~街に埋もれたミステリー~



人形と玩具、花火、駄菓子などの商店が並ぶ松屋町。
この記事を作成するにあたり、
私は「松屋町」を「まつやまち」とタイプしていますが、
大阪人でこう発音する人はまずいません。
私たちはここを「まっちゃまち」として認識しています。



この松屋町は人形で栄えて現在に至ります。
なぜ、ここが人形の街になったのかは、
松屋町の南隣、松屋町筋に面する瓦屋町という地名が答えとなっています。





400年前の大坂の陣。戦火に荒れ果てたこの地では、
徳川の時代になっても大坂城の城下町であり続けたために
建築ラッシュが起き、そのために大量の瓦が必要になりました。
ここは瓦職人たちの町だったのです。
その瓦職人たちは手慰みに素焼きの人形を作ることがありました。
その人形が人々に好評で、
やがて人形作りを専業とする職人たちの町と変わっていったのでした。





日本橋です。
五街道の起点である東京の日本橋は「にほんばし」ですが、
こちらの日本橋は「にっぽんばし」です。
私にとってもとても縁深いこの街ですが、
いろいろと姿を変えつつも、雑多な街であり続けてくれています。
この日本橋には、かつてほどではありませんが、電器屋が多数建ち並び、
堺筋に面した「でんでんタウン」には、多数の外国人も訪れ、
昔から市街には珍しい免税店がありましたが、
今はそれが増えているようにも思います。
日本橋が電気屋街であるのは関西人には常識ですが、
電気製品が普及していなかった時代はどうだったのでしょうか。

日本橋のメインストリートである堺筋から西へ入りますと、
その北側は「オタロード」などと呼ばれるアニメやゲームなどのお店がありますが、
そこからずっと南へ進みますと、
薄暗い中に中古家電や古着の店が並んでいます。
これこそ、家電の街・日本橋の基礎となった店なのです。

1912年、拡張された堺筋に市電が通されました。
ここからこの街が賑わうようになりますが、
その中には、お金のない学生たちもたくさんいました。
そして、この学生たちを客とした古書店や古着屋が出来ます。
やがて戦争があり、1945年に終戦。
焼け野原の大阪では、
軍で通信に関わった人たちはラジオを作りはじめます。
1950年には民放のラジオ局が誕生、
ラジオの需要が急増していきます。
中古のラジオやその部品の需要も高く、
元々、古着や古本などの中古商品の販売網と手法を持っていた日本橋の商人たちは、
この中古ラジオとその部品の販売により、
再び賑わうようになったのでした。

今でも、この街は工具や部品の店がたくさんあります。
中古家電が買える街といえば、ここしかないようにも思います。
それも、VHSやレーザーディスクのような、
現行の規格ではない家電も多数あります。
日本橋という街の魅力の一つである猥雑さは、
元々、中古販売を手広く行っていたために出来上がったものなのでしょう。






関東キー局で年の瀬の生中継といえば、
アメヤ横町からのものが多いですけれど、
関西ではまずこの黒門市場になります。
黒門市場は日本橋からも近く、
電器屋街が日本橋三丁目交差点から南だとすると、
そこからそのまま堺筋沿いに北へ10分もしないうちに見えてきます。
黒門市場は特に海産物のお店が多く、
こちらでも外国人の姿をよく見かけるようになりました。



黒門市場のアーケードにぶら下がる蛸。
これがここのルーツとなっています。
江戸時代後期、大坂には雑喉場市場がありました。
これは「ざこば」と発音し、
二代目桂ざこばさんの名跡の由来となっていて、
雑喉場市場跡としては、現在、西区の阿波座のあたりに石碑が建っています。
その名のとおり、魚市場ですが、
誰でもここで魚を売ることが出来たわけではありません。
やはり、地元、市場の人しか商売できないのです。

遠く堺からやって来た魚売りは、
雑喉場で売るべく仕入れてはきたものの、
当然のように追い出され、
傷みの早い魚介類ですので、
早々に売ってしまおうと考えます。
その場所が日本橋という橋の近く、
圓明寺の門前でした。

彼らが売っていた品物の中で、
特に好評だったのがひと口サイズで甘辛く煮た茹で蛸。
この串に刺してそのまま食べられる茹で蛸が客を呼び、
市場へと発展、圓明寺市場と呼ばれるようになります。
1912年、圓明寺は火事で焼けてしまいましたが、
この寺がここにあった名残が今も見られます。
それが今の市場の名前。
焼失した圓明寺は黒塗りの山門を構えていました。
その門前に出来た市場、
それが黒門市場なのでした。



現在、大阪といえばこう書きますけれど、
この記事にもお書きしているように、
元は大坂と書きました。
大阪となったのは明治以降のことで、
一説には「坂」という漢字は「土+反」で、
新政府の中には、「土」は「士」と見ることが出来、
「武士」が「反乱」すると読めるとして嫌ったというものがあります。
その他、「土に反る」の縁起が良くないというものもあります。
それでは、最後に大阪の難読地名を。

1. 野江内代
2. 出灰
3. 丼池
4. 博労町
5. 毛人谷
6. 波除
7. 河堀口
8. 御幣島

答えは末尾に。









1. のえうちんだい - 野江内代
2. いずりは - 出灰
3. どぶいけ - 丼池
4. ばくろうまち - 博労町
5. えびたに - 毛人谷
6. なみよけ - 波除
7. こぼれぐち - 河堀口
8. みてじま - 御幣島

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