同様の問題は各地で起きていて、
またかと思っていましたら、
事業者が開園そのものを断念するという話で、
延期という話はこれまでも耳にしていたものの、
異例の結果が悲しかったですね。
この種の問題を耳にするたびに、
「子供の頃、自分だってうるさかったはずなのに」
「自分も散々世の中に迷惑をかけてきたのに」
などと思っていました。
ただ、よくよく話を聞いてみると、
そう単純な話ではないようです。
この千葉県市川市の保育園建設予定地の映像を見てみますと、
その前の道路が狭く、
ここにクルマがたくさん入ってくるんですね。
実際に開園した場合、これに送り迎えのクルマが入ってくるでしょうから、
なおさら危険になりそうです。
事業者は近くに駐車場を借りるつもりで、
住民に対してその説明が不十分だったと話していますが、
それだけではこの道路の根本的な危険性は除去されません。
それと、予定していた建屋は木造だったとか。
今、住宅地に開園する場合、
防音性に配慮した鉄筋コンクリートで、
窓は二重構造ということも多いようで、
また、園庭には防音壁を設けて、
園児の声が上に抜けるように工夫していることも。
狭い空になってしまう園児にはやや気の毒ですが、
そこまで配慮した上で、
近隣の方々に、予めのお詫びとお願いをしておくそうです。
こうまでしないといけないのも悲しいものの、
ここまでやっていますからという姿勢を見てもらう意味もあるのでしょうか。
今回は木造ということで、
その種の配慮はあまりなかったと考えるべきなのでしょう。
この種の問題が続発していることについて、
辛坊治郎さんがこんなことを仰っていました。
「昔はいつも外から子供の声が聞こえていたが、
今は少子化で子供の声を聞くことが少なくなった
だから、子供の声が昔より気になってしまう」
「高齢化社会で日中自宅にいる人が増えたため、
保育園などの日中の声が気になる」
なるほどなあ、と思います。
この市川市の個別の件はともかくとして、
「うるさい」から反対だという意見が
その地域で多数だとは限りません。
この種の問題では、
声が大きい人の意見ばかりが聞こえてくることになりがちで、
仮に開園を容認している人がいても、
わざわざ手を挙げて
「それぐらい我慢しようではありませんか」
などとは言わないものです。
それが多数派だとしても。
声が大きいノイジーマイノリティの意見が通るのが、
今の世の中なのでしょう。
自分には関係ない音は耳障りなものです。
しかし、ある程度、それを容認していかないと、
どこにも保育施設は設けられません。
世の中、どんどん狭量になっているような気もします。
情けは人のためならずなんていいますけれど、
不寛容な社会は自分にとっても住みづらいように思うのです。
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市川市に見る保育園開園難問題
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