Quantcast
Channel: テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2031

ビーバップ!ハイヒール「日本人だけが知らない世界に愛された日本人(秘)話」~日本人が忘れた大恩~

$
0
0
今夜のビーバップ!ハイヒールは
「知らない人は損をする!訳あり物件の見抜き方」となっております。
この分野も独特の世界で、
物件の選び方は人生に関わりますので注目したいです。




さて、こちらでは先週の番組を。
ここ10年ぐらい、日本人が今までに
世界で行った偉業について取り上げる番組が多くなりました。
これまで日本人はそれらについて知らなさすぎるのです。
学校ではそれらを教えないだけでなく、
どれだけ日本が酷い国なのかという嘘の歴史を教わった人も多いかと思います。
今回の番組でも、そんなパラオやモーリタニアなどのお話もありながら、
最も注目すべきは「日本が受けた大恩」でした。

今回のカシコブレーンは日本史研究家で、
株式会社ことほぎ代表取締役の白駒妃登美さん。
番組には6度目のご登場です。




数年前、内乱が収束を見たことから、
多くのメディアがスリランカを取り上げました。
そして、このお話は「世界ふしぎ発見!」などでも
紹介されていたと記憶しています。

先の大戦において、敗戦国となり、
その後、国家としての主権を回復していく中で、
日本が最初に正式な国交を結んだ国をご存じでしょうか。
その国から大恩を受けておきながら、
私たち日本人の多くはその事実を知りません。
今回は番組から離れる部分が多くなりますが、
そのお話をこちらでご紹介したいと思います。

2014年9月7日、安倍晋三総理大臣は
スリランカの首都・コロンボのシナモングランドホテルにてスピーチを行いました。

日本スリランカ・ビジネス・フォーラムにおける安倍総理スピーチ(動画)
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0907srilanka.html

皆様よくご存じのとおり、1951年のサンフランシスコ講和会議において、日本の主権を擁護する演説を行って下さったのは当時のジャヤワルダナ・セイロン蔵相でありました。
今日の日本という「国のかたち」があるのは、その演説の大きな後押しを受けてのものです。


その中でこのような発言がありました。
1941年に始まった連合国との戦争で、
南方各地は激戦地となりました。
そんな中、日本のパイロットがセイロン、
現在のスリランカに不時着しました。
当時、この地は英国の植民地で、
英国のための物資供給の場でありました。
日本がパラオや台湾で見せたような共存共栄の姿勢ではなく、
そこには支配する英国人と支配されとる現地人という
動かせない図式ができあがっていました。
第二次世界大戦では、
セイロンの人たちも英国軍のために働くことを強いられ、
日本は敵国となっていました。
しかし、セイロンにたどり着いた日本軍のパイロットは、
日本は英国を含む連合国と戦っているけれど、
けっしてセイロンの敵ではないことを伝えます。

それまでセイロンを攻撃している日本を敵国だと考えていた人たち。
しかし、その後、日本が攻撃しているのは民間人ではなく、
英国の軍事施設や軍艦であることに気づき、
この日本兵の話を理解しました。

1505年にポルトガルの植民地となり、
その後、オランダ、イギリスと宗主国が変わりました。
もちろん、彼の地の人たちの都合ではありません。
その時の世界情勢によるもので、
その間、500年近く、西洋諸国に搾取されてきた国です。
白人が有色人種を支配するという
押しつけられた価値観の中で、
代々生き続けなければなりませんでした。

その後、同じく英国の植民地だったインドで独立軍が結成され、
これに対岸のセイロンからも多くの人が入隊します。
日本はインドの独立軍に対し、
日本国がこの地の独立を望んでいること、
援助を行うこと、一切の野心がないことを伝えました。

セイロンが独立したのは、
日本の敗戦から3年後、1948年のことでした。
1951年、サンフランシスコ講和会議において、
日本の戦争責任の追及と賠償、
国際社会への復帰を認めるかどうかが議論されました。
この時、最も強硬な姿勢を示したのがソビエトでした。
ソビエトは日本の自由を制限し、分割統治計画を掲げ、
ソビエトのほか、米英中で日本を統治すべきだとします。


(Wikipediaより)     


ソビエトと敵対する米の反発で会議は紛糾、
この時、行われたのが
独立からわずか3年の小さな島国の代表者によるスピーチでした。

なぜ、アジア各国の諸国民は、日本の自由を強く望むのか。それはアジア各国が長年にわたり日本と関わりあってきたためであり、そして、日本に対して持っていた尊敬の念のためでもあり、アジア諸国の中で唯一強く自由であった時、日本を保護者として、あるいは友人として見上げていた時に抱いていた高い尊敬のためである。

戦争中、アジア各国共存共栄の旗印がビルマ、インド、インドネシアの指導者へのアピールとなり、愛する自国が開放されるという希望を抱き、日本の仲間入りをした時のことを思い出す。


このスピーチは
セイロンのジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相によるもの。
この時のセイロンは英国自治領に過ぎません。
その立場での発言でした。
アジア各国の日本に対する思い、
共存共栄の精神が自国独立への助けとなったと話します。
ただ、彼はこの戦争における
日本の行いの正当性を訴えたかった訳ではありません。
セイロンはこの戦争で多大なる被害を受けました。
また、戦争のために生産物の供出を余儀なくされました。
この点において、セイロンは
損害賠償を請求することができるはずだと語ります。

だからといって、我々はその権利を行使しようとは考えない。「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」、ブッダの言葉であるダッマパーダにあるこの言葉はビルマ、ラオス、カンボジア、シャム、インドネシア、セイロン、そして日本にも伝わっている。この会議に向かう途上、私は日本に立ち寄り、この精神が僧侶だけでなく、今も市井の人々にも息づいていることを確認している。我々は日本に機会を与えなければならないのだ。

よって、ソビエトが加えようとする日本に対する制限には賛同できない。たとえば、自由の国に保障されるべき権利である国防軍を維持する権利に対する制限である。その他の制限についても、ここに出席していない各国にとっても、ソビエトの案は受け入れられないだろう。もし、ソビエトがカイロ宣言とポツダム宣言に反し、琉球や小笠原を欲しがるのであれば、なぜ南樺太と千島列島を日本に返さないのだろうか。


彼はソビエトの分割案に反対しました。
戦争が終わって、その次に始まったのは
戦争被害に対する賠償の駆け引きばかりであったものの、
セイロンの地は日本軍から攻撃されていたにもかかわらず、
彼は日本を擁護しました。
この時、セイロンが日本を擁護しなければならない理由は何一つありません。
被害者であるセイロンの代表者である彼の演説後、
議場は万雷の拍手が鳴り止まなかったそうです。
彼が作ったこの機会を得て、
日本は国際社会への復帰を果たしていくことになります。
その最初に正式な国交を結んだのがセイロンです。

1972年にセイロンはスリランカへと国名を変更、
1977年、ジャヤワルダナ氏は首相に、翌年には第2代大統領となっています。

2011年3月24日、スリランカのワサンタ・カランナゴダ駐日大使が
"予定通り"着任しました。義援金8,000万円を携えての着任です。
多くの外国人が東京を含む東日本を去り、
大使館機能を大阪などへ移す国が多い中、
スリランカは東京に留まり続け、
4月1日には気仙沼でセイロン紅茶を、
翌々日には福島でスリランカカレーを振る舞いました。

東西ドイツの悲劇、
今も続く朝鮮半島の悲劇のようなことが日本で起きなかったのは、
ジャヤワルダナ氏の演説があればこそのものでした。
1996年に亡くなった彼はある言葉を残しています。

スリランカと日本の未来を見守りたい
私の右目はスリランカ人に、左目は日本人に


その遺言どおり、彼の左目の角膜は静岡県の女性に移植されました。
その後、日本でも角膜移植のための団体ができ、
日本人の間でも角膜移植の考えが浸透することになりました。
あの時も、そして、今もスリランカからは恩を受け続けています。
これらはスリランカの人なら誰もが知っている話です。
しかし、私たちの多くは彼のことを知りません。
なぜ、知らないのでしょうか。
日本が忘恩の国であってはなりません。





Viewing all articles
Browse latest Browse all 2031

Trending Articles