珍しく、これから放送される番組のご紹介です。
今年、4月、私はある殺人事件についてお書きする仕事がありました。
基本的には医療問題でも、
気分が滅入るので、
私に選択権がある限り、
医療過誤事件などについても扱わないようにしているんですが、
この時は発注に従い、この事件と現代社会の背景について調べました。
「介護殺人」とは介護疲れなどを原因とする殺人、
あるいは(無理)心中などのことを言います。
介護殺人について調べた時、
一つの論文に出会いました。
その日本福祉大学の湯原悦子准教授による論文によれば、
昨年は41件の介護殺人が、
一昨年は43件の介護殺人が
1998~2015年では716件の介護殺人が起きています。
国は介護をできる限り自宅で、
という方針です。
もしも、そのほとんどを療養型の病棟や福祉施設で行おうとすれば、
数が全く足りません。
私が父を亡くした時、
自宅介護の可能性がありました。
暫定で要介護3、おそらく、正式には4になるだろうという話で、
父はがんに類似した病でしたので、
ホスピスを当たりましたが、
ホスピスに入るためには家族面接が必要です。
その家族面接は、申し込みから1ヶ月後でした。
結局、その面接の予定日よりも前に、
父は亡くなってしまいました。
急性期から療養型の病棟へと転院していましたが、
ここでその病院名を挙げたいぐらい、
酷い病院でした。
普通、医療現場の看護師で頼りになるのは、
ベテランのはずでず。
しかし、ここでは若手の看護師のほうが頼りになりました
ベテランにはやる気がないんです。
後で考えますと、気持ちはわかる気もするんです。
療養型の病棟は少なく、
少ないために、次から次へと命の期限を区切られた患者が押し寄せてきます。
ホスピスにせよ、そのような相部屋の病棟にしても、
そのベッドを使用できるということは、
そこで誰かが亡くなったことを意味します。
療養型の病棟が増えて、
もっと緩やかな時間が流れていればと思います。
もしも、私が父を自宅介護することになっていたらどうでしょうか。
近所の開業医に往診が可能かなど、
それを始める体勢だけは用意していたものの、
父の容態がそれを許しませんでした。
私が父の介護を行っていたら、
そう思うことがあります。
国は認知症などでも、
「できる限り住み慣れた地域で」暮らし続けられるよう、
各自治体に求めています。
そのために必要な制度、サービスを設けようとはしています。
しかし、その中に、
誰にも相談できない介護者を生み出す要因は含まれていないのかと思います。
私だって、明日、介護が必要な状態になるかもしれません。
誰かを介護しなければならなくなる可能性もあります。
介護殺人について、現在看護している人に質問すれば、
「気持ちはよくわかる」と話す人が多いそうです。
誰でも起きるかもしれないのが介護であり、
介護殺人ではないかと思います。
NHKスペシャル「私は家族を殺した~“介護殺人”当事者たちの告白~」
は今夜21時からの放送です。
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今夜のNHKスペシャルは「介護殺人」
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