先月17日の番組は駒沢女子大学人文学部日本文化学科教授で
曹洞宗宝林寺のご住職千葉公慈先生がカシコブレーンの回でした。
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-12223451385.html
こちらからの続きで、
引き続き、余計なことを書き足しながら記事化します。
おはぎ
彼岸に供えられるおはぎ。
おはぎは春の彼岸の時にはぼた餅と呼ばれることもあり
春の牡丹の花、秋の萩の花に因んだもの。
先祖供養におはぎが用いられるのは、
まず、その形に意味があると考えられます。
「魂」という言葉は「玉」と同根で、
霊魂を指しています。
日本人は古来より魂の形を球形だと考えていて、
球形という形も神聖視していました。
次に色。
小豆が使用されるおはぎの色は赤で、
この赤い色は血の色を表しています。
神や神事に関係する漢字、
たとえば、「祈」「祷」「祝」「神」「祓」などの部首は「示偏」です。
この「示」は象形文字で、
捧げ物を載せる台を象ったとされています。
その捧げ物が生け贄、あるいはその血。
「示」の下、左右に振られている2つの点は生け贄の血です。
饅頭では、餅の中に餡が入れられますが、
おはぎではそれが逆になります。
それは、小豆の赤が生け贄の血の色だからなのです。
花火大会
夏になると日本全国で開催される花火大会。
そのルーツは享保18年(1733年)5月28日に行われた
隅田川花火大会にあるとされていて、
この大会は今も東京三大花火大会の一つに数えられています。
もちろん、当時はこのような名前の催しではなかったでしょう。
元は「川施餓鬼」の行事として、徳川吉宗が催しました。
施餓鬼(せがき)とは餓鬼道に堕ちて
飢えと渇きに苦しんでいる人を救うために行われる仏事で、
川で行われる場合、特に川施餓鬼と呼んでいます。
江戸時代には度々、飢饉が起き、
その中でも特に犠牲者が多かったものを江戸四大飢饉と呼び、
享保17年から18年に起きた享保の大飢饉もその一つに数えられます。
特に17年は日照不足で冷夏となり、
イナゴなどの害虫が大量発生、
疫病も蔓延したこともあり、
少なくとも1万人、
多い数字では数万人が餓死したと伝わっています。
話はそれますが、この大飢饉で餓死者を出さなかったのが
伊予国の瀬戸内の島、大三島で、
それはここでサツマイモが栽培されていたからで、
これに目を付けた吉宗の施策により、
サツマイモなど、米以外の作物の栽培が奨励されることになります。
こういった飢饉のほかに、
日本は天災に見舞われており、
大勢の人が亡くなった時代でした。
それを憂いた吉宗は鎮魂のために
大川(隅田川)の川開きにおいて、花火大会を行います。
夏は流行病が広がりやすく、
台風などにより水害も多い季節なので、
人々は死を身近に感じたことでしょう。
だから、今も全国の花火大会は夏に行われています。
盆踊り
そのルーツには諸説あるものの、
放送では仏教の影響からという説を紹介。
今から2500年ほど昔のこと、
シャーキャムニ(釈迦牟尼/佛陀)の弟子のモッガラーナ(目連尊者)は
亡くなった母の天上界での姿を天眼にて見ようとします。
すると、彼の目に見えたのは
天上界ではなく、餓鬼道に堕ちていた母の姿。
そこで母は逆さ吊りにされ、
拷問に苦しんでいました。
彼は飢えと渇きに苦しむ母を救うべく、供物を捧げるも、
供物は地獄の業火に焼かれてしまい母の所へは届きません。
困った彼は師匠の佛陀に相談、
佛陀は彼に亡者を救済するための方術を授け、
教えに従い、たくさんの僧侶を集め布施を行い、
経を唱えました。
すると、母はたちまち天上界へと昇天、
さらにほかの大勢の亡者も餓鬼道から脱出、
その時、亡者たちは歓喜の声を上げ両手を上げ、
あるいは出口の扉を我先に急ぎ、
手を上にしていたそうです。
その日がお盆の日。
そして、亡者たちの声や姿が盆踊りになったとされています。
お盆のことを詳しくいえば「盂蘭盆会(うらぼんえ)」になります。
これはサンスクリット語の「ウランバナ」からですが、
その意味は「逆さ吊り」です。
ただ、何年か前のお盆の時に、
浄土真宗の僧職の方からお話を伺った時にも、
盂蘭盆会について尋ねてみたんですが
盂蘭盆会自体、偽経が由来となっているようです。
ブッダやその弟子たちの時代において、
インドなどで成立した経典ではなく、
後に中国や日本などで創られた経典を偽経、疑経と呼んでいて
ブッダの教えを指す真経(正経)とは区別されます。
このお話はいかにも儒教的な話だといえるでしょう。
曹洞宗宝林寺のご住職千葉公慈先生がカシコブレーンの回でした。
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-12223451385.html
こちらからの続きで、
引き続き、余計なことを書き足しながら記事化します。
おはぎ
彼岸に供えられるおはぎ。
おはぎは春の彼岸の時にはぼた餅と呼ばれることもあり
春の牡丹の花、秋の萩の花に因んだもの。
先祖供養におはぎが用いられるのは、
まず、その形に意味があると考えられます。
「魂」という言葉は「玉」と同根で、
霊魂を指しています。
日本人は古来より魂の形を球形だと考えていて、
球形という形も神聖視していました。
次に色。
小豆が使用されるおはぎの色は赤で、
この赤い色は血の色を表しています。
神や神事に関係する漢字、
たとえば、「祈」「祷」「祝」「神」「祓」などの部首は「示偏」です。
この「示」は象形文字で、
捧げ物を載せる台を象ったとされています。
その捧げ物が生け贄、あるいはその血。
「示」の下、左右に振られている2つの点は生け贄の血です。
饅頭では、餅の中に餡が入れられますが、
おはぎではそれが逆になります。
それは、小豆の赤が生け贄の血の色だからなのです。
花火大会
夏になると日本全国で開催される花火大会。
そのルーツは享保18年(1733年)5月28日に行われた
隅田川花火大会にあるとされていて、
この大会は今も東京三大花火大会の一つに数えられています。
もちろん、当時はこのような名前の催しではなかったでしょう。
元は「川施餓鬼」の行事として、徳川吉宗が催しました。
施餓鬼(せがき)とは餓鬼道に堕ちて
飢えと渇きに苦しんでいる人を救うために行われる仏事で、
川で行われる場合、特に川施餓鬼と呼んでいます。
江戸時代には度々、飢饉が起き、
その中でも特に犠牲者が多かったものを江戸四大飢饉と呼び、
享保17年から18年に起きた享保の大飢饉もその一つに数えられます。
特に17年は日照不足で冷夏となり、
イナゴなどの害虫が大量発生、
疫病も蔓延したこともあり、
少なくとも1万人、
多い数字では数万人が餓死したと伝わっています。
話はそれますが、この大飢饉で餓死者を出さなかったのが
伊予国の瀬戸内の島、大三島で、
それはここでサツマイモが栽培されていたからで、
これに目を付けた吉宗の施策により、
サツマイモなど、米以外の作物の栽培が奨励されることになります。
こういった飢饉のほかに、
日本は天災に見舞われており、
大勢の人が亡くなった時代でした。
それを憂いた吉宗は鎮魂のために
大川(隅田川)の川開きにおいて、花火大会を行います。
夏は流行病が広がりやすく、
台風などにより水害も多い季節なので、
人々は死を身近に感じたことでしょう。
だから、今も全国の花火大会は夏に行われています。
盆踊り
そのルーツには諸説あるものの、
放送では仏教の影響からという説を紹介。
今から2500年ほど昔のこと、
シャーキャムニ(釈迦牟尼/佛陀)の弟子のモッガラーナ(目連尊者)は
亡くなった母の天上界での姿を天眼にて見ようとします。
すると、彼の目に見えたのは
天上界ではなく、餓鬼道に堕ちていた母の姿。
そこで母は逆さ吊りにされ、
拷問に苦しんでいました。
彼は飢えと渇きに苦しむ母を救うべく、供物を捧げるも、
供物は地獄の業火に焼かれてしまい母の所へは届きません。
困った彼は師匠の佛陀に相談、
佛陀は彼に亡者を救済するための方術を授け、
教えに従い、たくさんの僧侶を集め布施を行い、
経を唱えました。
すると、母はたちまち天上界へと昇天、
さらにほかの大勢の亡者も餓鬼道から脱出、
その時、亡者たちは歓喜の声を上げ両手を上げ、
あるいは出口の扉を我先に急ぎ、
手を上にしていたそうです。
その日がお盆の日。
そして、亡者たちの声や姿が盆踊りになったとされています。
お盆のことを詳しくいえば「盂蘭盆会(うらぼんえ)」になります。
これはサンスクリット語の「ウランバナ」からですが、
その意味は「逆さ吊り」です。
ただ、何年か前のお盆の時に、
浄土真宗の僧職の方からお話を伺った時にも、
盂蘭盆会について尋ねてみたんですが
盂蘭盆会自体、偽経が由来となっているようです。
ブッダやその弟子たちの時代において、
インドなどで成立した経典ではなく、
後に中国や日本などで創られた経典を偽経、疑経と呼んでいて
ブッダの教えを指す真経(正経)とは区別されます。
このお話はいかにも儒教的な話だといえるでしょう。
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