歴史に触れていると、
時々、こういう大発見があるから面白いですよね。
近江屋事件の5日前ということで、
大政奉還のあとも、
彼が精力的に動いていたことが実感できます。
文中にある三岡八郎(由利公正)についても、
彼がその才能を高く評価していて、
懇意にしていたことは有名で、
「新国家」には彼の能力が必要だとしているあたり、
研究者にとって貴重なだけでなく
皆がイメージしている龍馬像をさらに強化するのではないでしょうか。
学術的な発見に知事が会見しているあたりも面白いです。
ところで、先日、井伊直虎の性別について、
やや女性説が有利かもとお書きしましたが、
考えが変わりました。
女性説のほうが説得力に乏しいというのが現在の印象です。
「片岡愛之助の解明!歴史捜査」視聴後に考えが変わった訳ですが、
この番組では主に前半に女性としての直虎の生涯を紹介し、
後半で「次郎法師≠直虎説」を紹介していました。
私が気になったのは、なぜ、"女性である直虎"は
男性だと思われようとしたのかという点。
「直虎」の名前で発給された書状は漢字ばかりで、
女性が書く手紙のかなの文とは異なります。
そして、花押は男性が使用するもの。
その理由は、"女性である直虎"が男性だと思われようと、
自らも名も男性のものにしたと説明されるのでしょうが、
江戸時代とは異なり、この時代、まれではあったものの、
女性が家の当主、領主、事実上の領主になっている例はほかにもあり
彼女たちに、男性のフリをしようとしている例はないとのこと。
"女性である直虎"が男性で押し通そうとしても、
その秘密が家の外に知られずに済むことなんてあるのか、
どうせ、わかってしまうなら、
性別を偽る必要もありません。
"女性である直虎"が実在したとして
「なぜ彼女は性別を偽ったのか?」
この疑問の答えが見つかりません。
井伊直盛の子は娘ただ一人。
彼女が何らかの理由で出家して次郎法師となり、
直盛は養嗣子に直親を据え、
直盛が桶狭間で戦死し、
跡を継いだ直親も謀殺されたというところまでは事実かもしれません。
ただ、この後、何者かが井伊家の当主となり、
その者が「直虎」を名乗ったと考えたほうが腑に落ちます。
昨年末に発見された「守安公書記」の「雑秘説写記」が正しいとすれば、
その者は新野(にいの)左馬助親矩の甥で、
この継承は今川氏真の指示によるものということになります。
そうだとすると、出家の理由も
ドラマティックなものではないかもしれません。
大河ドラマは大河ドラマで楽しみますし、
究極的には「わからない」のですけれど、
比較的「次郎法師≠直虎説」のほうが有力かもしれないと考え直しました。
もちろん、次郎法師が直虎であり、女性である可能性は充分にあります。
歴史で楽しいことの一つに、
常識が変わってしまうことがあるという点があります。
一つの史料が発見されたことで、
それまでの常識を捨てなければならないことになります。
大河ドラマの前後には関係史料が発見されることが多く、
今後、また私の考えが変わるような史料や説明に出会えればと思います。
歴史関係の本を読むときに
特に意識しているのが奥付で、
20年前に書かれた本なら、
そのつもりで読まなければならないと思っています。
ただ、著者の中には1年前に出された本でも、
10年前に完全に否定された説を堂々と載せていることもあります。
それが名の通った研究者であることも珍しくなく、
如何に人間は
自分の頭の中にあるストーリーに縛られているのかを知らされます。
これは歴史学に限ったことではなく、
ほかの分野でも、既に否定された考えに固執している場合が少なくありません。
直虎の人物像についてはともかく、
捨てるべきものは捨てるべきであろうかと思います。
考えを変えることをためらわない。
坂本龍馬はそれができた人だったのではないでしょうか。
///人は事実に合う論理的な説明を求めず
説明に合うように、事実のほうを曲げがちになる---
シャーロック・ホームズの至言です。
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坂本龍馬「新国家」に言及の暗殺5日前の書状発見/直虎は男性かもしれないと思い直す
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