ビーバップ!ハイヒール「神様になった日本人」(4)~崇道天皇と称されても天皇ではない早良親王~
台湾の六氏先生については勉強が間に合いませんでしたので、
予定を変更して一般人以外のお話をご紹介します。
受験シーズンは最終盤。
北野天満宮や太宰府天満宮だけでなく、
全国の天満宮で
「学問の神様」菅原道真への願掛けが多いことでしょう。
平安中期、道真は真の意味での破天荒といえる出世で、
政治の頂点で辣腕を振るおうとした時、
大宰府に流され、二年後に薨去。
そして、京の都に起きる天変地異や疫病の蔓延。
藤原氏はこれを道真の祟りだとして、
北野天満宮天神の称号が贈られることとなりました。
これは京都市左京区上高野の崇道神社。
この神社は"崇道天皇"を祀った神社で、
ほかにも奈良市西紀寺町に崇道天皇社などもあるものの、
彼が皇位を継承したことはありません。
天応元年(781年)、桓武天皇が即位、
直後に同母弟の早良(さわら)親王が皇太子に指名されます。
桓武天皇は政治力を発揮する仏教勢力から遠ざかるため
平城京から長岡京への遷都を計画、
それに反対したのが早良親王で、
桓武は彼を次第に疎ましく思うようになっていきます。
そして、自身に安殿親王(あてのみこ)などの子も生まれていて、
次の天皇には早良親王ではなく我が子をという思いもあったようです。
遷都間もないそんな延暦4年(785年)、
中納言の藤原種継が何者かに射殺されるという事件が起きます。
この事件の首謀者の一人とされたのが早良親王で、
彼は廃太子された上、淡路へと流されることとなりました。
事件の真相は不明ですが、
早良親王は無実を訴えるため絶食、
配流の道中で憤死してしまいました。
しかもあろうことか、その遺骸は都へと戻されることなく、
配流先に捨てられたといいます。
長岡京では安殿親王が立太子されますが、
この皇太子は度々病に伏せるようになりました。
さらには桓武の周りで次々と人が亡くなり、
その中には皇太后や3人の后も含まれています。
桓武の周囲だけでなく、大洪水が立て続けに起こり、
さらには疫病が蔓延し、飢饉に多数の民が命を奪われました。
これは早良親王の祟りに違いないと考えた人たち桓武天皇らは
早良を祀る社を建立することにし、
それだけでなく、本来なら天皇になるはずだった早良に
"天皇"を追称することにしました。
早良親王は"崇道天皇"にはなったものの、
歴代天皇には数えられないという不思議な人物となりました。
この後、延暦13年(794年)、
長岡の都が早良親王に呪われ続けることを恐れ、
平安京へと遷都されることとなります。
菅原道真は学問の神であると同時に、
日本三大怨霊にも数えられています。
死後に起きた都の災いのために彼は神とされたのですが、
そもそも、彼を大宰府送りにした藤原氏が、
災禍を道真の祟りだと考えなければ、
彼は神にはなっていません。
祟られるような事をした張本人たちが
祟りを最も恐れるのです。
同じく三大怨霊の崇徳天皇も配流先の讃岐で崩御後、
正一位太政大臣が贈られ、神格化されます。
これらに共通するのは、
「うしろめたさ」です。
その思いがあるからこそ、
藤原氏は災禍を道真の祟りだと考え、
後白河院や朝廷も崇徳の祟りだと考えた訳です。
早良親王が"崇道天皇"として祀られることになったのも、
桓武天皇以下に後ろめたさがあったからに他なりません。
福の神となった仙台四郎
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-12243975651.html
江戸に向かって自決した大坂の三庄屋
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-12244912618.html
コレラを道連れに村を守った警神・増田敬太郎
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-12246148577.html
これまでは感謝の思いから
神とされた人たちをご紹介してきましたが、
当人の思いとは別に、
その人を追いやり、非業の死を強いたうしろめたさが
神を生み出した例もあるというお話でした。
台湾の六氏先生については勉強が間に合いませんでしたので、
予定を変更して一般人以外のお話をご紹介します。
受験シーズンは最終盤。
北野天満宮や太宰府天満宮だけでなく、
全国の天満宮で
「学問の神様」菅原道真への願掛けが多いことでしょう。
平安中期、道真は真の意味での破天荒といえる出世で、
政治の頂点で辣腕を振るおうとした時、
大宰府に流され、二年後に薨去。
そして、京の都に起きる天変地異や疫病の蔓延。
藤原氏はこれを道真の祟りだとして、
北野天満宮天神の称号が贈られることとなりました。
これは京都市左京区上高野の崇道神社。
この神社は"崇道天皇"を祀った神社で、
ほかにも奈良市西紀寺町に崇道天皇社などもあるものの、
彼が皇位を継承したことはありません。
天応元年(781年)、桓武天皇が即位、
直後に同母弟の早良(さわら)親王が皇太子に指名されます。
桓武天皇は政治力を発揮する仏教勢力から遠ざかるため
平城京から長岡京への遷都を計画、
それに反対したのが早良親王で、
桓武は彼を次第に疎ましく思うようになっていきます。
そして、自身に安殿親王(あてのみこ)などの子も生まれていて、
次の天皇には早良親王ではなく我が子をという思いもあったようです。
遷都間もないそんな延暦4年(785年)、
中納言の藤原種継が何者かに射殺されるという事件が起きます。
この事件の首謀者の一人とされたのが早良親王で、
彼は廃太子された上、淡路へと流されることとなりました。
事件の真相は不明ですが、
早良親王は無実を訴えるため絶食、
配流の道中で憤死してしまいました。
しかもあろうことか、その遺骸は都へと戻されることなく、
配流先に捨てられたといいます。
長岡京では安殿親王が立太子されますが、
この皇太子は度々病に伏せるようになりました。
さらには桓武の周りで次々と人が亡くなり、
その中には皇太后や3人の后も含まれています。
桓武の周囲だけでなく、大洪水が立て続けに起こり、
さらには疫病が蔓延し、飢饉に多数の民が命を奪われました。
これは早良親王の祟りに違いないと考えた人たち桓武天皇らは
早良を祀る社を建立することにし、
それだけでなく、本来なら天皇になるはずだった早良に
"天皇"を追称することにしました。
早良親王は"崇道天皇"にはなったものの、
歴代天皇には数えられないという不思議な人物となりました。
この後、延暦13年(794年)、
長岡の都が早良親王に呪われ続けることを恐れ、
平安京へと遷都されることとなります。
菅原道真は学問の神であると同時に、
日本三大怨霊にも数えられています。
死後に起きた都の災いのために彼は神とされたのですが、
そもそも、彼を大宰府送りにした藤原氏が、
災禍を道真の祟りだと考えなければ、
彼は神にはなっていません。
祟られるような事をした張本人たちが
祟りを最も恐れるのです。
同じく三大怨霊の崇徳天皇も配流先の讃岐で崩御後、
正一位太政大臣が贈られ、神格化されます。
これらに共通するのは、
「うしろめたさ」です。
その思いがあるからこそ、
藤原氏は災禍を道真の祟りだと考え、
後白河院や朝廷も崇徳の祟りだと考えた訳です。
早良親王が"崇道天皇"として祀られることになったのも、
桓武天皇以下に後ろめたさがあったからに他なりません。
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神を生み出した例もあるというお話でした。
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