こちらでは「正座」と「初詣」についてお書きしました。
https://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-12355418637.html
文化は時代により変化していくもので、
それは伝統文化も例外ではありません。
これはタイでの中国式葬礼の様子らしいです。
日本でも中国からの影響が強いためか、
白い喪服が着られていました。
しかし、明治以降、
西洋化に伴い喪服といえば黒に変化していきます。
さて、平安神宮は私の好きな場所です。
それは伝統というよりも、
ここに京都の人の思いを感じるからです。
大政奉還、王政復古、天皇は居を東京へと移してしまいます。
今でも京の町では「御幸されただけや」と
東京遷都を認めない人たちがいるとも聞きます。
たしかに日本史上繰り返されてきた遷都では
「遷都勅令」が出されており、
明治にはその勅がないために、
今でも京都が都だという考えは成立しうるのかもしれません。
とはいえ、実際に天皇不在となった京の都は
どんどん寂れていきます。
直接的には宮中御用達の老舗が東京へ移るか
あるいは廃業となりました。
日本の人の流れが一気に変わり人口激減。
わずか十数年でかつての賑わいが昔のこととなってしまいます。
このままやったら 京都も奈良みたいになってしまう…
奈良の人に失礼な言い様で、
再現ビデオのこの台詞に、
スタジオでも笑いが涌きましたが
どうやら、実際に当時の京都の人の心中にはこの思いがあったようです。
平安京遷都後、南都と呼ばれつつも
その後の奈良は千年余り「都だった場所」でした。
もう一度日本中に「京都こそがほんまの都や」とアピールし、
町の経済をもう一度立ち上がらせようと建てられたのが平安神宮でした。
番組では平安神宮のみの言及でしたが
「琵琶湖疎水事業」
「第四回内国勧業博覧会」
「平安遷都千百年紀念祭」
この三事業を切り離すことはできないでしょう。
桓武天皇が都を遷し大極殿で初めて
正月の拝賀を受けたのが延暦15年(796年)のこと。
明治28年(1895年)は、その年から1100年目に当たり
これを紀念(記念)して行われたのが平安遷都千百年紀念祭で、
その時、桓武天皇を奉祀する平安神宮が創建されています。
これは内国勧業博覧会の目玉でもありました。
平安神宮の「平安」は
平安時代に創建された、という意味ではなく
平安京の大内裏を復元したという意味の平安なのでした。
ちなみに東京の明治神宮はもう少し新しくて
大正9年(1920年)の創建です。
内国勧業博覧会を京都で行っていることから
明治政府も京都の復興について
何も考えていなかったわけではないと思いますが
平安神宮の建設に必要な莫大な費用は
政府に頼らず、京都市民などの寄付金によって賄われています。
「都」の人たちの意地は、
今でも京都の町と人に感じることができます。
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