日曜日の「たかじんnoマネー」に桜林美佐さんが出演されていて、
彼女のこの著書のお話が出ていましたので、
この本のお話を。
あの震災において、
自衛隊の活動内容を伝える報道はあまりありませんでした。
こんな時に自衛隊は何を、というような聞かれ、
桜林美佐さんが自衛隊の活動を取材、
3月25日から夕刊フジにて「誰かのために」の連載が開始され、
後に再編集、加筆してこの本が出来上がりました。
福島第一原発の事故で、上空からの放水作業の任務では、
隊員の皆が自分が行くと志願していたとか。
まだ事故の情況もはっきり見えない、
さらに情況が悪化する可能性もあるなかで、
被曝覚悟の危険な任務に彼らは皆、
志願して進み出たそうです。
今、無理をしなくてどうする
隊員の言葉です。
救助の任務では、氷点下の中、
彼らは現場で暖を取る事はしませんでした。
なぜか。
そのために使える燃料があるならば、
自分たちが我慢することで、
被災者にそれを回す事が出来るからです。
隊員が所持している携帯食料のほとんどは、
被災者に手渡されました。
救助、それはやがて遺体となった行方不明者の捜索となっていきます。
ひと月も経過してしまえば、
瓦礫の下に人がいたとしても、
生きているはずはありません。
しかし、彼らは重機を使用しませんでした。
しかも、感染症予防のための手袋着用の命令に背いて、
素手で瓦礫の除去作業に当たる隊員もいたそうです。
それは、少しでも、ご遺体を傷つけないため。
被災地で一日の作業が終わると、
誰が言い出した訳でもないのに、
隊員皆が、車座になって、その日の事を話したそうです。
自分が見た惨状、力及ばなかった苦しみ、
それら全てを言葉にして吐き出し、
そして、皆で泣いたそうです。
そんな彼らには、翌日も任務が待っています。
男の子の遺体が発見されました。
まだ3歳の子です。
変わり果てた姿だったようですが、
服装から彼のお母さんが確認する事が出来ました。
お母さんは、どうしても我が子を抱きたいと言っています。
彼女は収納袋のまま、彼を抱きしめて言いました。
よかったね。自衛隊さんたちが助けてくれたよ。
被災地で任務に当たる隊員たちの中にも、
自身が被災者である場合も珍しくありません。
中には家族、肉親が行方不明になっていることも。
ある隊員がご遺体を発見し、
仮安置所へと運び入れます。
この隊員も家族が行方不明で、
しかし、彼はその安置所の中を確認せず、
自分の任務を黙々と続けていました。
彼らは誇りません。
自分たちの行いが如何に讃えられるべきものであっても、
国民に対して、それを口にする事はありません。
ただ黙々と任務に当たるのが我が国の自衛隊員です。
被災者からは感謝の声が寄せられます。
しかし、
自衛隊が感謝されるのは、国民が不幸なときだ。決しておごるなよ
上官は部下に向かって戒めの言葉をかけます。
内閣府が3月10日に発表した「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」では、
東日本大震災に関わる自衛隊の災害派遣活動を
「評価する」と答えた人は97.7%でした。
自衛隊の印象について「良い」と答えた人も91.7%で、
この数字は1969年の調査開始以来、過去最高のようです。
しかし、彼らは自らの事を語ることはないんでしょうね。
この本の第二部では、防衛費が削減され続けている現状、
それに対して、海外派遣などが増え続けている矛盾、
国防とは何か、何が必要なのか、
我が国の周囲にある危機とはどのようなものであり、
それらに対する備えは出来ているのか、
そういったことが書かれています。
いずれも、私たちそれぞれが考えなくてはならない事柄でしょう。
最後に、前出の番組でも紹介された手紙をご紹介します。
多くの子供たちが命を落とした石巻市立大川小学校に通う、
小学一年生の女の子からの手紙です。
じえいたいさんへ。
げん気ですか。
つなみのせいで、大川小
学校のわたしのおとも
だちがみんな、しんでしまい
ました。でも、じえいたいさんが
がんばってくれているので、
わたしもがんばります。
日本をたすけてください。
いつもおうえんしています。
じえいたいさんありがとう。
うみより