芦原妃名子さんの件。その詳細については公表されていませんし、
公表すべきとも思いません。
その理由についても、はっきりしているわけではないため、
マスコミなどは、その点に留意が必要だと感じています。
ここでは、一般論としてお書きするわけですが、
以前から「原作クラッシャー」という言葉がありました。
原作の世界観、設定、登場人物などを大きく変え、
アニメ化、映画化され、原作ファンから批判されることが多かったです。
小説や漫画、それぞれの作品のファンたちは、
愛する作品が蹂躙されたとして怒りを顕わにしています。
私が昨年秋からハマり続けている『五等分の花嫁』を読み終えた時、
「これは実写化される心配はないな」と安心したことを覚えています。
実写化するには、一卵性の五つ子姉妹を連れてくるか、
加工の跡がわからなくなるぐらい
ディープフェイクの技術が高度化するしかありません。
この作品のアニメ版は、一部シーンが短くなっていたり、
進行が変えられていたりするものの、
極力、視聴者に原作どおりに受け取ってもらおうとする
努力の跡が随所に見られます。
近年はそういうアニメ化が多いように思います。
ただ、原作を大きく変えることが、必ずしも悪いというわけでもありません。
『JIN -仁-』は、ドラマで原作にはいない主要人物を創作し、
世界観を変えていましたが、
原作者夫妻がエキストラでドラマ出演するなど、
ドラマ班との関係は極めて良好であることを伺わせました。
原作者とドラマ制作側の意思疎通ができていたのかもしれません。
有名なところでは、宮崎駿さんは「原作クラッシャー」として知られています。
アニメ映画は、角野栄子さんの『魔女の宅急便』とは、
描こうとしているテーマが全く異なります。
ただ、角野さんは「あれは宮崎さんの作品だから」
「映画としてはよくできている」と感じておられるようで、
世間も名作として、テレビ放送の際は、
何十回放送しようとも、高視聴率を獲得しています。
宮崎さんは『未来少年コナン』の頃から既に「原作クラッシャー」で、
自身の漫画『風の谷のナウシカ』ですら、
大きく改変して名作に仕立て上げて見せました。
結局、原作者と映像化のスタッフとの意思疎通が重要なのでしょう。
私なんかは物書きの末席にもいないような立場ですが、
それでも、自分が書いた作品には愛着があります。
プロットの段階で、作中で死なせることに決めていた"彼女"を
自分の手で殺した時、悲しくて悲しくて、ずっと泣いていました。
1人の登場人物ですら、可愛いのですから、
作品となると、自分の分身のようなものなのです。
それは、音楽でも小説でも漫画でも、皆、そうなのだと思います。
森進一さんが歌った「おふくろさん」において、
イントロで独自の語りを付け加えたことに対し、
作詞者の川内康範さんが激怒して、
「歌わせない」と言った事件がありました。
日本音楽著作権協会(JASRAC)は作詞者の主張を認め、
改変した歌詞を歌えなくなりました。
(大騒ぎになったため事実上改変前のものまで歌えなくなった…)
奥山儀八郎「能登新七尾八景 赤浦潟の夕照」
著作権というものがあります。
作品を創作した著作者が有する権利で、
著作権は、著作財産権と著作者人格権に大別することができます。
普段、目にするの著作権は著作財産権のほうで、
作品から得られる収益などを守り、
その中には、複製権、翻案権も含まれています。
著作者人格権は著作者の精神面を守るための権利で、
前出の川内康範さんの件はこちらにあたります。
無断で著作物を公表されない「公表権」、
著作者名の表記を決定する権利「氏名表示権」、
誤った受け取られ方をしないため無断で著作物を改変されない「同一性保持権」、
展示、放送などの社会的評価を守る「名誉声望保持権」、
著作物の複製を止めるよう求める「出版権廃絶請求権」、
著作物の修正を求める「修正増減請求権」があります。
私の仕事には、著作権譲渡が前提のものになっているものが多いのですが、
厳密にいえば、著作者人格権は譲渡できない権利です。
もしも、契約書に「著作者人格権を譲渡する」とあっても、
その契約は無効です。
ただ、著作者人格権なんかを主張すると
クライアントがいい顔をするはずはなく、
「著作者人格権を行使しない」と契約書に書かれることがあります。
この不行使特約により、映像化で自由に改変できるようになるのです。
不行使特約がある契約書にサインした上で
著作者が映像化による改変で作品を傷つけられたと感じた場合でも、
戦う余地はあるようですが、探してみたものの事例は見つかりませんでした。
件の問題では、原作の出版社が窓口となって、
プロデューサーなどのドラマ制作側とコミュニケーションを取ってきたようです。
出版社としては、とにかく、本を売りたいわけで、
ドラマ化されれば、出版社の収益につながります。
どうしても、ドラマ制作側の要求が通りやすい状況になってしまい、
出版社が要求を丸呑みなんていうことも多いかと思います。
そこに原作者の意向が考慮されないこともあるでしょう。
ドラマ制作側には「ドラマ化してやった」という思いがあるかもしれません。
それに、テレビ局は常に数本のドラマを製作していて、
そのドラマはそのうちの1つに過ぎないのです。
原作者の作品に対する愛情とは、
非対称であることが多いでしょう。
それに、「作品を傷つけられた」と感じるのは、
著作者の主観であるため、第三者からの評価の難しさもあるでしょう。
主観だからこそ、書面だけでなく、
コミュニケーションが重要になります。
コミュニケーション不足が改まらない限り、
苦しむ著作者は減らないと思います。
テレビ局が悪い、脚本家が悪い、
そういう次元の話ではないのではないでしょうか。