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ビーバップ!ハイヒール 「辞書ほど面白い本はない!」 その2 ~初の国語辞典「言海」誕生秘話~

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その1 ~国語辞典が放つ個性とは~
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11259827645.html

昨夜は、現在発行されている辞書ごとの個性についてお書きしました。

では、我が国初の国語辞典とはどのようなもので、
どのように出来上がったものでしょうか?

「国語辞典」というからには、
「国」の言葉を扱う辞典であり、
ということは、「国」という概念が固定されてから
以降の辞典を指すことになります。

「国」が現在の私たちの概念と同じものになったのは明治。

明治の初め頃、英仏米独などの国々では、
国語辞典作りが盛んに行われていました。
近代国家の仲間入りをするためには、
明治政府は日本語を統一し、
我が国にも国語辞典が必要だと考えました。

明治8年、文部省報告課に勤務していた大槻文彦、28歳。
彼は課長の西村茂樹に呼び出されます。
そして命じられたのが国語辞典の編纂でした。

なぜこの28歳の彼がそんな大役に任じられたのでしょうか?
しかも、彼ただ一人が。

彼は儒学者・大槻磐渓の三男、そして兄は漢学者の大槻如電、
さらに祖父は日本の蘭学の第一人者…

…とナレーションはなっていまして、
蘭学の第一人者、大槻…、もしやと思い調べてみて驚きました。
祖父は大槻玄沢ではありませんか。
前野良沢と杉田玄白の弟子であり、
蘭学の歴史は彼抜きには語れません。
どうやら、岩手県一関市では、玄沢、磐渓、文彦の三代を

一ノ関駅前 大槻三賢人像

「大槻三賢人」と呼んでいるそうですね。

…思わぬ事を知ることが出来て歓喜しておりますが、
ともあれ、大槻家では、それぞれ多様な学問の分野で、
名を成した大学者たちがいたために、
文彦が任じられたようです。
しかし、なぜ一人だったのでしょうか…?
よくわかりませんね。

様々な学問に触れてきた大槻文彦でしたが、
国語学について詳しいわけではありません。
国語辞典の編纂を命じられたものの、
何から手を付けて良いものかわかりません。
そこで、彼は諸外国の国語辞典を開き、
その編集方針を調べてみることにしました。
すると、「雨」「おはよう」「山」など、
日常のありふれた言葉が並んでいることに気付きました。
専門的な学術用語は要らないと知った彼は、
普段使われている言葉の収集に取りかかります。

この時、彼は果てしなく広い言葉の海へと
漕ぎ出したことになります。

道端で誰かが会話しているのを見つけると、
その中で使われた言葉を手帳にメモすることもありました。
田舎の人を見つけては方言についても調べます。
書店に通い、道具屋に通い、言葉を収集。
発音、語源、意味、出典などを加え、
従来のいろは順ではなく、
五十音順に分類していきます。

先の見えない作業、
自分はこの仕事を完了できるかどうか不安な時、
彼の妻・いよはいつも夫を励まします。

10年の月日が流れました。
やるべきことはやった、
大槻文彦は完成した10年ぶんの成果を提出することにしました。
言葉の海、

言海

その稿本を文部省に提出し、
あとは出版されるのを待つだけとなりました。
達成感に満たされた彼は、家族たちとその日を待ちます。
しかし…、待てど暮らせど出版される気配はありません。
気がつけば、提出から3年も過ぎていました。
文部省に確認しますと、

政府が発行する予定であったが、
予算が獲得できず、出版は出来ない


という返事。
そして、

もしも、大槻君が自費で出版するというのであれば、
稿本は返却する


と…

10年の苦労を無駄には出来ない、
彼は自費出版を決意します。

あらためて稿本を見直しますと、
手を加えたい部分が目につきました。
もう一度、辞書作りの情熱を取り戻し、
手直しに取りかかります。
そんな時…

彼の愛嬢・えみが風邪をこじらせ、
結核性脳膜炎を患い入院してしまいます。
妻・いよは、

娘には私が付き添って看病しますから、
あなたは辞書の事だけ考えて下さい


と。
彼は改訂作業に没頭していきます。
しかし…

二人の娘が家に戻ってくることはありませんでした。

さらにその1ヶ月後…

妻も他界…


それでも、彼は辞書作りを止めることは出来ませんでした。
そんな彼が終盤の「ろ」の部分に取りかかっていると、
ある言葉が目に留まります。

露命 -ロメイ-
ツユノイノチ、ハカナキ命

…原稿用紙に涙が落ちました。



1891年、「言海」出版。
完成まで17年、
収録総語数39,103語の四分冊。

彼は言葉の海を渡りきったのでした。


なお、この言海は現在復刻された形で、
手にすることが出来ます。



この言海では、巻末にこの辞書が編まれた理由、
その苦難などが書かれているそうです。

この言海が生まれて、その後の国語辞典は、
この言海の上に成り立つこととなりました。


大槻文彦


なお、出版後について調べてみますと、
出版パーティーには伊藤博文、山田顕義、大木喬任、榎本武揚、
谷干城、勝海舟、土方久元、加藤弘之、津田真道、陸羯南、矢野龍渓…、
と、とんでもないメンバーが出席していますね。

そして、晩年には言海の改訂に着手しています。
しかし、その作業半ばで死去、
兄の如電らがそれを引き継ぎ、
如電死去の後の1937年(昭和12年)、
約98,000語が収録された言海の増補版というべき

大言海

新編大言海/大槻 文彦

¥18,961
Amazon.co.jp


が出版されています。



ねてしてタペ


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