人見絹枝の壮絶な闘い
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女子フィギアの先駆者 稲田悦子
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先週の番組からの記事は3回目。
今夜は女子サッカーのお話です。
「なでしこジャパン」の愛称で知られるサッカー日本女子代表チームは、
昨年7月に第6回FIFA女子ワールドカップで優勝したことで、
一気に日本中の、世界中の注目を浴びるようになりました。
しかし、日本代表女子はずっと世界レベルで活躍していました。
1991年、第1回から女子ワールドカップから出場していて、
男子がワールドカップに出場したのは、
1998年のフランス大会からですから、
それよりも早く、国際舞台で戦ってきていたんです。
1964年東京オリンピックで、
日本代表が強豪アルゼンチンを敗る活躍を見せます。
サッカーという未だ市民権を得ていないこの競技に、
日本国民は目を惹かれ始めたそんな時代。
もちろん、男性だけではなく、
女性も。
1966年、兵庫県神戸市灘区、
市立福住小学校に、その女の子たちがいました。
男の子たちがサッカーをしている中、
それに混ぜてもらおうとしますが、
あかん、女子なんかいれへんで
とにべもなく断られてしまいます。
男子に拒否された彼女たちが次に向かったのは校長室でした。
この直談判が
福住女子サッカースポーツ少年団
を誕生させ、これが日本初の女子サッカーチームとなりました。
そして、同じ年、同じく神戸でもう一つの女子チーム、
神戸女学院中学部女子サッカーチーム
も誕生しています。
その翌年の1967年、王子陸上競技場でこの2チームが対戦、
日本初の女子サッカーの試合が行われました。
この試合を見ていた一人の男がいました。
蔵力(くらつとむ)は彼女たちの試合に感銘を受け、
彼女たちの情熱を引き継ぐことになります。
時は1968年、メキシコオリンピックで、
日本が銅メダルを獲得していました。
日本サッカーの国際舞台での活躍に、
蔵力も女子サッカーも世界を目指すべきだと考え始めます。
女子サッカーリーグの設立を目指し、
その目標を「世界」としました。
しかし、社会的に認知されていない女子サッカーには、
なかなか公共のグラウンドを貸してもらえません。
そこで学校を一校一校頭を下げて周り、
借りられるグラウンドを捜し続けました。
そんな蔵たちの地道な努力の結果、
1974年に関西女子サッカーリーグが設立されます。
参加チーム数は24にもなりました。
同じ頃、関東でも中心に女子サッカーリーグが誕生、
1975年 兵庫県尼崎で日本初の女子東西対抗戦が行われ、
1979年に日本サッカー協会は女子チームの登録を開始、
1980年には第1回全日本女子サッカー選手権大会が開かれました。
1981年には初の女子日本代表が選ばれ、
サッカーの母国イングランドを相手に国際試合が神戸で行われています。
0-4という完敗でしたが、
それは女子サッカーに情熱を賭け、
当初から「世界」を目標としていた蔵たちとっては、
一つの結実を見た思いだったことでしょう。
1989年日本女子リーグ設立、
1993年には男子の日本リーグがJリーグとなりますが、
この年に15歳の澤穂希が日本代表入りしています。
日本のレベルが徐々に高くなっていき、
女子サッカーの未来は順風満帆であるかのように見えましたが…
1998年、男子代表のワールドカップ出場に日本中が湧く中、
女子ではバブル崩壊から多くのクラブチームから、
スポンサー企業が次々と撤退する事態になります。
女子サッカーは存続の危機に立たされます。
運営が成り立たない女子リーグに対し、
日本サッカー協会は通告を出してきました。
いよいよ、女子リーグの継続は無理なのか、
しかし、それでも女子サッカーの灯は消えませんでした。
問題はお金。
そのために出来ることを全て行いました。
運営費や遠征費用の一部を選手の負担とし、
チームドクターを廃し、
身体面のケアは選手間で行うこととしました。
そして、試合の観戦料金を無料にします。
有料開催でなければ、
会場を安く使えるようになるからでした。
血が滲むような改革に、
スタッフと選手が一丸となり、
女子リーグの灯を灯し続け、
その発展のために努力した結果が
2011年7月の第6回FIFA女子ワールドカップでの
優勝へと繋がることなります。
福住女子サッカースポーツ少年団のOGたちです。
彼女たちは、
これ、私らがルーツやねんって、
封印してましたもん、去年の今まで
と笑います。
今、頑張っているなでしこのルーツが
私たちだと思うとちょっとプチ自慢です
今でも、日本女子代表チームでプロ契約している選手は数少なく、
とても恵まれた環境だとはいえない状態で、
彼女たちは戦い続けています。
あのワールドカップ優勝の後、
日本女子1部リーグ"なでしこリーグ"の試合では、
試合会場に入れないほどの観客が押し寄せました。
あの時もたしか無料開催でしたよね。
あまりにも大勢のため、
ガードマンを雇わねばならないことになり、
その経費も必要だったことと思います。
きっと、この会場で○○○○人以上なら、
有料でも黒字になるというような計算があるのでしょう。
人の気持ちは移ろいやすいもので、
ワールドカップ優勝という最高の栄冠を獲得しても、
やがて人々の女子サッカーへの思いは薄くなっていくことでしょう。
それを誰よりも選手たちがわかっていて、
だから、注目されているうちに、
出来る限りのプレイをしよう、
オリンピックで勝って帰って来ようとしているのだと思います。
番組では触れられていませんでしたが、
1998年にバブル崩壊からスポンサー離れ、
チーム解散などが相次いだとしている部分、
その2年前のアトランタオリンピックで3戦全敗、
次のシドニーオリンピック出場を逃がし、
観客が激減していたそうなんですね。
あの時代を経験している選手もいて、
だからこそ、注目を浴びているうちに、
勝たなければならないと、
彼女たちは肝に銘じているのではないかと思います。
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