先ほどメールで怒られましたので予定を変更して、
竹島についてお書きします。
私は携帯ではほとんどメールを受け取っていません。
仕事以外は基本的にPCに送ってもらっていて、
仕事関係でもメールのやりとりをするようなことはあまりないんですが、
その仕事関係の方からメールを頂戴しました。
私よりもずっと人生の先輩で、お世話になっている社長さん、
韓国籍の方です(ハングルの"読み方"は彼に教わりました)。
10日竹島に李明博韓国大統領が上陸し、
終戦の日には香港を出航した7人が尖閣諸島海域に侵入し、
うち5人が上陸しました。
件の社長さんはこれらの事に対して、
怒っている訳です。
「日本固有の領土だといっているのになぜ日本人は領土を守らないのか」
私は日本人代表ではないんですが、
日本国民として恥ずかしく思いますので、
この問題を記事にしようと思います。
尖閣と竹島の両方は手に余りますので、
ここでは竹島のほうから。
その前に、オリンピックでの愚かな行為と、
李明博の暴挙についての意見をお書きしておきます。
あの愚挙がオリンピック憲章に違反しているというのは、
IOCの考えのとおりで、
当該の選手がメダル授与に値する人物ではなかったというです。
そして、もしもそれが個人による愚挙でないなら、
その者たちも同じ扱いを受けねばなりません。
考えてもみて下さい。
外国人を多数誘拐して未だ解放せず、
核開発を続け、ミサイルを人工衛星と言い張り、
アメリカから「ならず者」扱いを受け、
それが国際社会共通の認識になっている北朝鮮でさえ、
オリンピック憲章は遵守している訳です。
竹島は北朝鮮も領有権を主張しているのに、です。
(南北統一国家としてかもしれませんが)
次に李明博の竹島上陸問題ですが、
既にご承知のとおり、彼が政権末期のレイムダックの状態であり、
韓国では大統領、元大統領恒例の肉親や側近の不正資金事件で逮捕、
求心力が失われている中、窮余の一策として、
長年国民が植え付けられている「反日感情」を利用したものでしょう。
日本としては対抗措置を講じなければなりませんが、
最も有効だとされる日韓通貨スワップ協定に変更はないとしています。
少し前に官邸から、見直しも、という声が聞こえてきましたが、
いずれにせよ、外交カードで最も有効な手段を
戦う前から「使わない」と宣言することの馬鹿さ加減に呆れました。
そして、14日、李明博はあろうことか、
我が国の天皇陛下に対し、「謝れ」などと発言、
大罪に値する無礼を働きました。
李明博は入管難民法違反の犯罪者であり、
もしも、日本に入国するようなことがあれば、
逮捕せねばなりません。
そのような日本国の刑事法における犯罪者から、
陛下が指示される理由はありません。
さらに、「謝罪しないのであれば韓国に来なくていい」と言ったようですが、
韓国への行幸が陛下のご意向だという訳ではなく、
来韓を希望したのは李明博であるにもかかわらず。
そんなに我が身が可愛いのかと憐れにもなります。
元大統領の最悪の末路、死刑の可能性もあるのかと勘ぐります。
長くなりましたが、
以上が最近の竹島についての出来事についての私の意見です。
竹島問題を考える時に、
一番認識しておかないといけないのは、
韓国では、現在の韓国があるのは、
「日本と戦った結果」だとされている点です。
竹島とは直接関係ありませんがお付き合い下さい。
15日は終戦の日でしたが、
韓国では「光復節」と呼ばれ祝日になっています。
日本から解放された1945年8月15日を記念する日です。
実際には私たち日本国は連合国と戦って、
ポツダム宣言を受諾し敗戦となったことから、
朝鮮半島は日本の植民地ではなくなりました。
ではこの終戦の1945年8月15日から、
朝鮮半島で、現地の人たちによる自治政府が成立したかといえば、
そうではなくて、それは1948年まで待たねばなりません。
1945年2月には連合国(正しくは米ソ間)で、
植民地支配からの解放が決められていたんです。
ここにはソ連が今もなお、南樺太及び千島列島、
北方領土を占領している問題へと繋がるんですが、
それはまた別の話としてますけれど、
この時、半島の北半分もソビエトが占領しています。
9月には「朝鮮人民共和国」が興り、
それよりも以前から中国で活動していた「大韓民国臨時政府」も、
朝鮮を統治する正統な政府だと主張を始めました。
政府が乱立することを良しとしない米ソは、
それぞれが半島を治めることとし、
ここから、米ソは北緯38度線を境界線に、
北をソビエト連邦が、南をアメリカが統治することになりました。
米ソはそれぞれに軍政を布きます。
南半分だけの話にしぼりますと、
米軍政になると、日本統治時代よりも物価が急上昇、
米価で10倍にもなったとか。
くわえてコレラの大流行、
大邱(テグ)で軍政に抗議した市民を
南朝鮮警察が銃殺したことをきっかけに、
大規模なデモが起こります。
銃殺が1946年10月1日ことから10.1事件、大邱事件などと呼ばれています。
デモは南朝鮮全土に及び、その数230万人、
136名の犠牲者が出ています。
ここから自由主義の韓国に向かえばよかったんですが、
南朝鮮単独での独立を考える一派と、
南朝鮮の単独総選挙に反対する一派が対立、
ここから南朝鮮内部で暗殺合戦になるなど、
血を血で洗う抗争が起こり、
また、済州島などで大韓民国独立に反対する勢力もあり、
これには軍と警察が鎮圧にあたり、
その結果、済州島島民6万人が虐殺されることに。
この後も憲法を制定する国会を開くにあたり、
総選挙が強行されますが、その際にも約600人の犠牲者を出しています。
この制憲国会で、李承晩が議長に。
憲法を制定、公布し彼が初代大統領になっています。
米軍政から大韓民国第一共和国へ。
この宣言がが1948年8月13日、あるいは15日とも。
(宣言が13日で米政府の承認が15日?)
つまり、ここから大韓民国は始まっていることになります。
韓国の教科書を参照したことはないんですが、
日本がポツダム宣言を受諾してからの
米軍との、南朝鮮人どうしの血まみれの歴史を、
自国民は教えられていないのではないでしょうか?
ここで登場した李承晩(リ・ショウバン/イ・スンマン)。
1919年に臨時政府として組織された、
(上でもお書きした)大韓民国臨時政府の大統領でした。
しかし、この臨時政府は上海にあったんですが…
この李承晩が竹島でも話を複雑にします。
記事は続きますが、
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