これが彼のプロ生活最後のヒットになります。
そして、盗塁、走塁死。
どれもが
今日しか来られないかもしれない
観客への全力でのプレー。
最終打席。
9回2アウト、バッテリーはそのつもりだったのでしょうか。
球威のあるメッセンジャーの直球を外へ続けていたような気がします。
左打席の荒波が球威に押されるか遅れるかすると、
レフトへ打ち上げてくれるかもしれません。
この引退試合のウイニングボールは、
レフトの彼の最後の守備機会で終わらせるために。
そのとおりにレフトフライが打ち上がり、
彼が捕球してゲームは終了、
彼のプロ野球選手としてのプレイもこれで終わりとなりました。
彼の顔で、いくつか記憶に残るものがあります。
一つは2005年のリーグ優勝の時、
彼のレフトへ飛球が飛んでいきました。
捕球後の笑顔は忘れられませんね。
2004年の連続試合フルイニング出場の日本新記録を目前にした時、
あの死球の時の顔もそうですね。
投げた岩瀬投手の青ざめた顔も印象的でしたが。
あとは、2003年の優勝後のオフシーズンの頃の
インタビューか何かでの顔です。
この年の彼の本塁打数は19本でした。
1995年に104試合出場してから以後、
毎年100試合以上に出場していますが、
この時まで彼はずっと20本以上のホームランを打っていました。
しかし、この年はそれに届かずにシーズンが終了しまいます。
この年の成績について訊かれた彼は、
19本しか打てんようではいかんね
そのような言葉を返してきたと思います。
しかし、この自嘲気味の言葉とは裏腹に、
顔のほうは全然後悔しているようには見えませんでした。
満足げでもあったように思います。
移籍1年目のこの年の彼は3番での出場でした。
2番には俊足の赤星選手。
彼が1塁にいる時には、
赤星選手がスタートを切るまで、
甘いボールでも見送ることもありました。
そして、他の条件の時も無死1塁、1死1塁の時には、
外の直球でも無理に引っ張っていたように思います。
セカンドゴロを打ってでも
4番が走者を返せる状況を作っていました。
翌年の2004年、彼は4番で出場するようになりますが、
この年にはホームラン34本。
2005年には40本を打ち、
チームが優勝してMVPを獲得しています。
引退セレモニーの直前には、
彼のプロ入りしてからの映像がバックスクリーンに流されたんですけれど、
阪神ベンチの中には既に泣き顔の選手もいたりしました。
挨拶が終わり、ベンチ前で選手やベンチスタッフなどと握手を交わし、
その列の最後尾には3桁の大きな背番号が。
バッティングピッチャーでしょうか。
その中の一人が大泣きに泣いていた事が、
彼の人となりを物語っています。
裏方と呼ばれる人たち全てに気を配っていたそうです。
ホームランなどを打ちますと、
球場から景品が出されますが、
そういう品物はそういった裏方たちへと手渡されていたとか。
司会進行の谷口さんは「ハプニングが」としていますが、
お嬢さんらしき子が彼に抱きついていました。
仲間たちに胴上げされて、グラウンドを1周。
1周する時にファンから手渡されたいくつかの花束を、
選手として、もう二度と立つことがない
左バッターボックスに置いて、
彼はプロ野球選手としての全てを終えました。
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