これはダ・ヴィンチが描いたのか…?
というお話は、9月に
「若き日のモナ・リザ」はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたのか? -動画付き-
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11366500555.html
お書きしていますが、
今回は「アイルワースのモナ・リザ」ではなくて、
この
美しき姫君
のお話です。
大きさは33cmx22cm。
元の番組は「The Property Of A Lady」、
昨年の米国の番組です。
事の起こりは1998年、
ニューヨークで開催されたクリスティーズのオークションでした。
ここにこの絵が出品されました。
目録には「ルネサンス風のドレスを着た少女の横顔」、
19世紀ドイツ人画家による絵だとありました。
この絵に目を付けた男、わざわざパリからやってきた
美術商のピーター・シルヴァーマン。
彼はこの絵がヴェラム(羊皮紙)にチョークで描かれたものであり、
どう見ても19世紀に描かれたものだとは考えられませんでした。
目録には12,000~1,6000ドル、
しかし、彼はその何倍もの価値がある絵だと踏んでいたんです。
彼は18,000ドルまでを予算とし、
オークションに望みましたが、
最高22,000ドルの値がつき、彼は落札できませんでした。
彼は"彼女"に二度と会えないだろうと諦めていましたが、
それから9年後、ニューヨークのギャラリーで、
偶然"再会"します。
しかも、値段がついて。
価格は22,000ドル。
彼がこの二度目の機会を逃すことはありませんでした。
彼はこの絵を身近な美術関係者に見せます。
すると、これはルネッサンス期の絵に間違いないと断言されます。
これを聞いたシルヴァーマンの頭に、
一つの考えが思い浮かびました。
この絵は、ただ単にルネッサンス期に描かれただけではなく、
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたものなのではないか?
美術界のみならず、科学と技術においても
巨人として知られるダ・ヴィンチですが、
彼が描いたとされる絵は十数点しか確認されていません。
優れた構図、新しい技法、
それらの比類なき才能は、
現在の分析技術が高まるにつれ、
その評価は増すばかりです。
もしも、この絵がダ・ヴィンチの絵であるなら、
その価値は数千万ドル以上になるでしょう。
しかし、その証明は容易ではありません。
絵にはサインもなければ、
由来、来歴など何も残されていないのです。
この絵がそうであると主張するために、
美術、科学、歴史の3つ側面から、
その証拠を明らかにする必要があります。
シルヴァーマンはオクスフォード大学名誉教授の美術史家、
マーティン・ケンプのところへこの絵を持ち込みます。
ダ・ヴィンチ研究で知られる彼は、
この絵の細部に高い観察力と描写力、技術力を見ます。
たとえば、この紐状のヘアバンドでも、
この自然な曲線や、
後頭部における束ねた髪におけるバンドの圧力の影響による捩れなど、
この画家がそれらを理解し、
絵に再現することが出来たことを示しています。
細部にわたる描写では、
まるで1本の髪の毛で描かれたような細さのもので描いている部分があり、
細かい線が重ねられていて、
よく見ると下まつげも極細の線で再現されています。
この絵を見れば見るほど、ケンプ教授には、
ダ・ヴィンチによるものではないか、
そう思えてしまうのでした。
シルヴァーマンは証拠を揃えるため、
イタリア人美術研究家のジャンマルコ・カプッツォの元にも
絵を持ち込んでいます。
まずカプッツォは使用されているヴェラム(羊皮紙)の年代の特定をします。
C14年代測定と呼ばれる技術で、
放射性同位体である炭素14が一定の割合で、
減少していくことに着目した年代測定法です。
もしも、ヴェラムがルネッサンス期のものでないなら、
ダ・ヴィンチの絵であるという可能性は消滅します。
測定の結果は
1440 ~ 1650年
のヴェラムでした。
ダ・ヴィンチが生きたのは、
1452 ~ 1519年
であり、このヴェラムの年代に当てはまります。
では、この絵が描かれたのが、
この年代なのか、といえば、
これだけではその証明には至りません。
この時代のヴェラムを手に入れることさえ出来れば、
後から絵を描くことが可能だからです。
それは贋作画家が用いる方法で、
その時代に描かれた安い絵を入手し、
上に乗っている顔料を剥がし取り、
目的の時代の画材を用いて、
新しく絵を描くのです。
この絵も、そうして描かれたものであるという可能性を、
排除することは出来ません。
たとえ、ヴェラムがルネッサンス期のものだとしても、
必ずしもその時期に描かれたものだとは限らないのであれば、
どのようにして、描かれた時代を特定することができるのでしょうか?
シルヴァーマンとカプッツォは、
ルーブル美術館の以来で「モナ・リザ」の"眉の跡"も発見し、
コンピューター上で描かれた当時の状態を修復した
パスカル・コットの研究所を頼ります。
2億4千万画素の高解像度カメラで、この絵の下に何があるのか、
何もないのかを調べるのです。
様々な波長の光を用いることで、
この肖像画は13の層に分けられます。
中でも興味深かったのは、
赤外線による撮影で、
チョークに塗られたその下に、
インクとペンで描かれた下書きでした。
ここからはこの絵の構図に変更されたことがわかります。
特に輪郭線は何本もの修正ラインが確認出来、
コットはこの分析を、
既にダ・ヴィンチのものだと確認されている英国王室所有のスケッチと比較、
この絵では、修正された輪郭線が肉眼で確認出来ます。
それは顎の下、額、首の後ろなど、
あの肖像画と同じ部分で修正されていて、
コットはそれを画家としての癖なのではないかと考えました。
しかし、それがダ・ヴィンチの癖だとしても、
彼はその時代の絵画に多大な影響を与えた人物です。
この時代に彼の技法を真似て描かれた可能性はないでしょうか?
たとえば、彼の工房にいた弟子たちなどでは。
技術的に師匠と比べられる随一の弟子である
ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオのそれと、
あの肖像画のそれとは大きく異なると、
美術史研究家のクリスティーナ・ゲッドーは断言、
彼女はその他に、あの肖像画に一つの特徴に気付きます。
顔の周りの陰影の線の角度です。
それは、この絵を描いた画家が左利きであることを示しています。
右利きの画家は右上から左下にペンを動かしますが、
左利きは右下から左上へとペンを動かします。
ダ・ヴィンチの弟子は全て右利き。
そして、ダ・ヴィンチは左利きです。
もちろん、ボルトラッフィオの線とは大きく異なります。
右利きが左利きのスタイルを真似て描くことは、
困難ともいえるでしょう。
しかし、そうだとしても、
まだこの肖像画がダ・ヴィンチが描いたとは断定できません。
ケンプはより説得力のある証明を求めて、
オックスフォード大学ラスキン美術学校教授で、
芸術家のサラ・シンプレッドに協力を仰ぎ、
オリジナルと同じような画材や技法を用いて、
肖像画を再現してもらうことにしました。
…続きます。
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地球ドラマチック「ある肖像画の謎~ダ・ヴィンチ説を追う~」 その1
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