地球ドラマチック「ある肖像画の謎~ダ・ヴィンチ説を追う~」 その1
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11408595537.html
こちらからの続きです。
サラ・シンプレッドが当時の画材と技術で、
この肖像画を再現します。
シンプレッドは絵をなぞり、
ヴェラムを着色したりしていくうちに、
この絵に欠かせない要素を発見していきます。
この絵の画家は卓越した技術の持ち主であり、
解剖学に精通し、特に頭蓋骨の発達についての知識、
また、眼球の外からは見えない部分との比率において、
とても現実的な表現になっていることです。
ダ・ヴィンチは解剖学でも、
数々のスケッチを残しています。
遺体を解剖し人体の構造を理解しようとしました。
そして、それまでの肖像画には見られなかった
解剖学的知見を反映させました。
このように、彼ほど、解剖学に精通した画家は、
他にはいません。
この絵を再現する際に、
最も難しいのは、
チョークをヴェラムに定着させることでした。
これには樹液と卵白を使用することにします。
なぜ、ヴェラムとチョークという珍しい組み合わせなのか、
それはダ・ヴィンチの実験なのでしょうか?
ダ・ヴィンチの絵には、
未だこの組み合わせの絵は発見されていません。
それは、この肖像画が彼の作品だと考える人たちにとっては
不利な要素となるでしょう。
チョークスティックで色を乗せていきます。
しかし、上手く色が着く部分もあれば、
全く乗らない部分もあり、
ヴェラムとチョークの相性が良くないことに苦労します。
彼女はスティックが駄目ならということで、
粉末状のチョークを指で直に塗り込むことにします。
すると、今度は色が乗ってくれました。
最悪とも思えるヴェラムとチョークという組み合わせで
描かれたこの肖像画は、
相性がよくないからこそ、
そこに画家の何かしらの意志が存在していたことが想像出来ます。
ダ・ヴィンチは、常に新しい技法を求めていたことで知られています。
時には大失敗することもありました。
イエスと弟子たちの「最後の晩餐」を描いたこの絵では、
本来のフレスコ画の乾く前の漆喰にではなく、
乾ききった後の漆喰にテンペラ画の技法で描いています。
彼はそのための定着剤を開発しました。
しかし、この試みは失敗に終わります。
20年もしないうちに、
イエスや弟子たちの姿が薄れてきてしまったからです。
ヴェラムとチョークという組み合わせも、
それと同じぐらいに実験的です。
そして、この肖像画の場合は、
素晴らしい作品として現代にまで残されました。
左利きで、解剖学の知識を持ち、
実験精神が旺盛で、極めて卓越した技術を持つ画家、
そのような画家は存在しません。
ただ一人、レオナルド・ダ・ヴィンチを除いては。
それでも、この絵を描いたのが、
ダ・ヴィンチだと証明するには至っていません。
マーティン・ケンプはこの絵の彼女が何者なのかを
明らかに出来ないかと考えます。
服飾史家のエリザベッタ・ニニェーラは、
ルネッサンス期のファッションやヘアスタイルを研究しています。
彼女は、長い髪を紐で縛った独特の
コアッツォーネ
に着目します。
その髪型から、年代や場所、家柄も特定できるからです。
コアッツォーネは1491年から流行したことがわかっています。
当時の有力な都市国家であったミラノを
20年間支配していたスフォルツァ家、
ルドヴィーコ・スフォルツァはミラノの最高権力者であり、
その妻の
ベアトリーチェ・デステがしていた新しい髪型がコアッツォーネです。
それを宮廷の女性たちが真似たことで流行します。
このコアッツォーネが流行していたのは、
1491から1499年頃まで。
1482年から1499年まで、ダ・ヴィンチもミラノにいました。
ルドヴィーコ・スフォルツァに、
画家、技師として仕えていたんです。
彼はルドヴィーコ周辺の人物の肖像画を何枚か描いています。
宮廷音楽家や愛人などです。
では、この女性も
ルドヴィーコと関わりがある人物なのでしょうか?
スフォルツァ一族と深い関わりがある人物、
ニニェーラはそう考えていました。
スフォルツァ家の表立った歴史には登場しませんが、
それに該当する女性がいました。
ルドヴィーコと愛妾ベルナルディーナ・デ・コラーディスとの間に
生まれた娘でその名はビアンカ。
13歳で軍人ガレアッツォ・ダ・サンセヴェリーノと
結婚させられたビアンカは婚礼から4ヶ月後に亡くなっています。
一説には子宮外妊娠が原因だとも。
ビアンカ・スフォルツァの父に仕えていたダ・ヴィンチ、
あの肖像画のモデルは彼女なのでしょうか?
マーティン・ケンプは以後、この絵を
美しき姫君
(La Bella Principessa / The Beautiful Princess)
と呼ぶことにします。
しかしながら、
スフォルツァ家にはこの絵に関する記録がありません。
その歴史的な意味を説明できなければ、
懐疑的な意見を覆すことは出来ないでしょう。
そんな時、画像解析を続けていたパスカル・コットから
ケンプのもとへ連絡が入りました。
絵の左端に沿って、
ナイフでヴェラムを切った跡が見つかったのです。
2度失敗していることもわかります。
そして3つの穴。
この穴は製本時に開けられたものであり、
ナイフの跡はそれを切り離した時に出来たもの、
ケンプはそう考えました。
当時、ヴェラムは写本用紙として用いられていました。
それならば、この絵が記録に残っていない理由も説明できます。
これは絵画としてではなく、
1冊の本の1ページとして、
書棚の中に収まっていたと考えることが出来るからです。
では、なぜ、この絵は本の中に挿入されたのでしょうか?
ケンプはビアンカの婚礼用に作られた本の中の1枚の絵だと
考えました。
しかし、これまで何かの記念に肖像画を描いて、
それを1ページにしている本はどこにも見つかっていません。
これをどう説明するのか…?
そんな時、サウスフロリダ大学の教授からメールが届きました。
そこにはポーランドの国立図書館に行けば、
手掛かりが得られるかもしれないとあります。
ケンプとコットはワルシャワへ向かいました。
図書館にその本はありました。
スフォルツァ家の歴史が記してあります。
作られたのは500年前、
ビアンカの死後ですが、材質はヴェラムです。
ケンプとコットがまず捜したのは、
この本の中の抜けたページです。
この本は横長のヴェラムを中央で折って綴じられています。
もしも、1ページが切り取られていたとすれば、
何らかの処置を施さない限り、
もう1ページが落ちてしまいます。
それを見つけようとしますが、
古い本なのでどこまでが1枚のヴェラムなのか判別出来ません。
ここでコットが何枚も写真を撮影して、
それを重ねてつなぎ合わせ、
1枚の画像として
どこまでが1枚なのかを判別出来るようにしました。
すると、折り返しから先が失われている1枚を発見、
しかも、その1枚は本から落ちないように、
次のページに糊付けされています。
その本の切り取られたのであろうページが
元あった場所を開きます。
そこに「美しき姫君」の高解像度コピーをあてがいます。
本の綴じ目は…
「美しき姫君」の3つの穴と完全に一致しました。
たしかに、"彼女"はここにいたんです。
もちろん、これはが"彼女"がスフォルツァ家の人間で、
そして、おそらくビアンカだろうと証明しているに過ぎません。
この肖像画をレオナルド・ダ・ビンチが
描いたことの証明にはなりません。
しかし、その有力な判断材料にはなるでしょう。
今も、"彼女"はスイスのある場所で、
厳重に保管されています。
…実は、この絵についての話はこの本で読んでいまして、
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昨年、古本屋で見かけたものなんですが、
この肖像画に遺されている「指紋」の話が書かれています。
番組とは異なる部分もありますが、
ご興味がございましたら、読んでみて下さい。
「美しき姫君」の指紋と、
この未完の「荒野の聖ヒエロニムス」に遺された指紋と
同一であるとすれば、
その可能性は高くなりますが、
真実はどうなのでしょうか?