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中村勘九郎さん、七之助さん、京都・南座で舞台を見事に勤め上げる

中村勘三郎さんが亡くなられました。
57歳でした。

初期の食道癌が見つかったものの、
命には関わりないだろうということで、
復帰されるものとしか思っていませんでしたが、
まさか、このようなことに。

京都では長男の勘九郎さんの襲名披露公演があり、
次男の七之助さんもご一緒でした。

「五代目中村勘九郎」が「十八代目中村勘三郎」を襲名したことで、
「二代目中村勘太郎」が「六代目中村勘九郎」を襲名。
この興行があったわけなんですが、
ずっと勘三郎さんは
この舞台に一緒に上がりたいと仰っていましたよね。

それを断念し、治療に専念されていただけに、
残念でなりません。


活躍の場は舞台からテレビ、スクリーンまで。
演目も古典歌舞伎からそれに新演出を加えたもの、
ミュージカルにストレートプレイまで、
日本一忙しくされていた役者さんだったのではないでしょうか。
それでもきっと、あれもやりたい、
こんなことが出来るのではないか、
そんなことを考えておられたのかもしれませんね。



松竹株式会社、また先輩、後輩、幕内、皆々様のお力添え、そしてご贔屓いずれもさまのご賛同を得まして、父が46年間名乗り、戦い、魂を込めた勘九郎の名跡を六代目として襲名させていただくことと相成ましてございます。
このような立派な襲名披露興行を、この勘九郎の襲名披露をこうやって出来ますことは、本当に父のおかげでございます。
父勘三郎と母好江の間に生まれたことを誇りに思い、感謝をしております。
先ほど親孝行者だとおっしゃっていただきましたけど、何もできておりません。
本当に悔しゅうございます。
一番悔しいのは父でございます。
大好きな芝居が出来ないんですよ。
大好きな方々、先輩、後輩、皆様の笑顔に、本当に無念だと思います。
本当に前に進むしかないと思っております。
しなければ、怒られると思います。そういう父でした。
頼もしい弟の七之助、中村屋スピリッツを持つ中村一門と一生懸命、努力精進し、稽古いたします。
父はいつも言っておりました。お客さまに少しでも笑顔になって楽しんでいただけるような、いい芝居を作り上げることを約束しますれば、何卒いずれの皆さまの温かいご声援、また厳しいご指導をお願いします。

父のことを忘れないでください。


お父さんが亡くなったその日、京都・南座での口上で、
勘九郎さんはこのように仰ったそうです。
涙乍らに。

七之助さんも。


六代目中村勘九郎襲名披露公演がこの京都南座におきまして、このように盛大に行わせていただくことを厚く御礼申し上げます。
父が今朝亡くなりまして、本当に温かい言葉を頂戴し、ありがとうございます。本当に愛された父だと思っております。私の今の気持ちは、去年に祖父を亡くしまして、今年に入って父を亡くしてしまいまして、偉大な2人を亡くして本当にどうしていいかわかりません。
兄の襲名が行われています。父にも言われました。
兄の襲名は全力でサポート、支えろよと、今はこの言葉を胸に一日一日、芸道に精進していく所存にございます。
それには、先輩の皆様のお助け、また後輩の手助け、お客様、お一人お一人の助けも必要でございます。何卒、私たち兄弟にご指導、ご鞭撻の程一重によろしくお願い申し上げまする次第にございます。



勘三郎さんに届いたのではないかと願いたいです。










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