やしきたかじんさんがご自身の3つの番組で復帰されました。
関西テレビ「たかじん胸いっぱい」
テレビ大阪「たかじんnoマネーゴールド」
よみうりテレビ「たかじんのそこまで言って委員会」
です。
最初に放送があったのは土曜日の「たかじん胸いっぱい」で、
この番組のスタジオにはたくさんの祝い花が並んでいました。
著名人は五十音順で敬称略で…
桂ざこば/桂南光/研ナオコ/国生さゆり/大平サブロー/TKO
/天童よしみ/ハイヒール/ビートたけし/ほしのあき/星野仙一
/堀内孝雄/ますだおかだ/松山千春/美輪明宏
企業としては関西テレビはともかく、
松竹芸能、米朝事務所、フジテレビ「めちゃイケ」
旭ポンズの旭食品、満月ポンの松岡製菓、
北新地Prv.Ayaka、CLUBのぶ
からというのもたかじんさんらしかったです。
次いで放送されたのが同日夜生放送の「たかじんnoマネーゴールド」。
この日の朝刊には、この番組の折り込みチラシが入っていました。
紙面に番組の広告を載せることは珍しくありませんが、
折り込みというのは初めてです。
放送局の力の入れようがわかりますね。
今までは13時からの番組でしたが、
これからはゴールデン番組となるらしいです。
この番組では(この番組でも?)、事前にたかじんさんに
他の出演者の方々はお会いになってなかったのでしょうか。
眞鍋かをりさんがいきなり泣き出されてしまいました。
そして、翌日曜日「たかじんのそこまで言って委員会」が放送され、
収録としてはこれが最初になるのでしょうか。
この番組ではご意見番の三宅久之さんが亡くなられました。
生前、「たかじんさんが復帰する時には這ってでも行く」とは
スタジオに来られていた奥様のお話だったようです。
奥様の前ではたかじんさんの目には涙がありました。
三宅先生がお元気な時から先生がいらっしゃらないのであれば、
番組は終了すると宣言されていましたが、
それでもこの番組を続けることにされたのは、
亡くなられる前の先生の遺言に従ったためです。
橋下大阪市長は、「noマネー」で生出演で、
この番組でもビデオコメントを寄せていましたが、
安倍総理大臣までもが復帰のお祝いビデオを。
以前、番組でたかじんさんと温泉に入られ、
たかじんさんが「体を大事に」と仰っていて、
今回はそれをそのまま総理が
たかじんさんに返される形となりました。
1年2ヶ月ぶりの復帰になるそうです。
その間、この3つの番組のそれぞれの留守を守ろうと、
レギュラー、準レギュラー陣、スタッフは必死だったと思います。
おそらく、視聴率は落ちていないのではないでしょうか。
眞鍋さんの涙は、たかじんさんの無事と再会ということに加えて、
「たかじんさんが帰ってくるまで絶対に番組を守る」という
その事への気負いを
ようやく緩めることが出来たからなのかもしれません。
「noマネー」では、たかじんさん不在中、
青山繁晴さんと眞鍋さんがメインでしたけれど、
青山さんは司会業をされる方ではなく、
テレビ人でさえありませんので、
彼女が背負っていたものは大きかったと思います。
さて、特に「たかじん胸いっぱい」で
彼の病を得てから以後の事が紹介されましたので、
その事をお書きしておきます。
現在のたかじんさんはご自身の体型をベストだと仰っています。
たしかに、1年と少し前はお腹が出ておられましたね。
癌の予兆だったのか、
2011年10月頃、ご自身心臓病かと疑うような胸痛で
体調不良が続いていたそうです。
年末年始はいつもハワイの彼ですが、
この時は十数年ぶりに日本で過ごされています。
医師の診察もあり、ご自身狭心症だと認識、
心臓の薬も処方されていたとのこと。
しかし、症状に変化が見られず、
ホステスさんが見舞いに来やすいという理由で
銀座に近い病院で人間ドックを受診。
内視鏡検査で食道に病変が確認され、
組織検査の結果、食道癌と診断されます。
これが昨年の1月30日。
癌だとわかったので、
他の検査はキャンセル、焼き肉店へ。
そして、翌日深夜、休養宣言をされました。
入院は2月9日から。
特別室には50インチのテレビと、
1週間分全局全番組が録画可能な録画機、
ミニコンポ、酵素入り入浴剤、お気に入りのシャンプー、
トイレットペーパー「白檀の香り」。
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私なら、18ロールの値段でも
400円は高いと思うお値段です。
なお、この時の入院時には、
お名前を「林一」とされていたとか。
有名人で、ご本名の「家鋪隆仁」も目立ちますので、
変名を使用されていたんですが、
ビデオでコメントされていた主治医の先生は彼をご存じではなく、
今でも彼を「林一」と認識されているようです。
3月5日、抗癌剤を用いて化学療法が開始、
さらに翌月9日には、
市販前で最新の3D内視鏡なる機器により、
食道癌の切除手術が行われました。
胸部、腹部に約1cmの穴を開けて、
内視鏡でその画像を見ながら食道をほぼ全摘出、
胃の噴門部を引き上げて食道の代わりとして縫合、
手術は無事に終わります。
しかし、その後、引き上げた胃の部分で縫合不全があり、
経過が思わしくない方向に。
なお、この縫合不全は10~20%の確率で起こるとのこと。
この問題では、再縫合は不可能なので、
胸腔内に漏れ出てくる消化液を排出するための手術を行いました。
先生の説明では、このあたりが最大の山であり、
食道癌切除手術後、縫合不全になると、
通常、回復まで数ヶ月~半年かかることが多いとのこと。
しかし、たかじんさんの快復力が先生を驚かせたそうで、
約1ヶ月で回復されたそうです。
それは、
人間、食い物を食わんと治るものも治らんやろ!
だから、俺は食うんや!
と、半分もどしそうになりながら、
食べ物を口に運ばれていたんだそうです。
病気に打ち勝つという強い意志が、
その驚異的な回復の原因ではないかと、
同じ病と戦っている患者さんにも、
そのような気持ちで頑張って欲しいというメッセージもありました。
先生がそれと同じく驚かされたというのが、
初めての外出から戻られたたかじんさんが、
病質でマクドナルドのフィレオフィッシュを
召し上がっていたことだそうです。
この手術後の方が入院期間中に
マクドナルドを食べることは非常に難しく、
これまでに見たことがなく、また
林さんほどの方がマックを食べるんだなぁ…
と。
主治医の見込みは、9月までの入院が必要というものでしたが、
6月9日には退院、7月7日に北海道で
腹部に経管栄養のチューブを付けたまま療養生活が開始します。
このチューブは栄養摂取のためのパックに繋がっていて、
栄養を経口摂取出来ない事を考えて処置されたものです。
しかし、それを彼は抜いてしまいます。
これがあったら、これに頼ってしまう、
結局は自分の口で食べられるようにならなあかん
という背水の陣による意志の顕れですが、
絶対に真似してはいけません。
9月27日に再入院。
とはいうものの、これはチューブの件とは関わりがないようで、
手術後投与されていた抗癌剤の副作用により、
腸閉塞を発症、北海道の病院に入院します。
この抗癌剤投与時には、
必ず副作用で頭髪が抜けると宣告されていたものの、
彼にはそれが起こらず、
そのぶん、腸に負担がかかったのではないかというのが、
たかじんさんの推測です。
入院加療は2週間が必要、
しかし、強引に一泊二日で退院して競馬場に。
11月20日、療養先をハワイに。
12月25日に闘病中、初めてのカラオケ。
熱唱したのは20曲と、コンサートよりも多い曲数。
余談ですが、「委員会」では、
この頃に島田紳助さんに偶然会われたらしく、
紳助さんが
兄さん、大丈夫ですか?
と気遣ってきたので、
それより、お前こそ大丈夫か?
と言うたった、とのお話をされていました。
12月29日、食道のない状態で今も二日酔いになのか実験。
それまでも飲酒はされていたようですが、
この時、あえて痛飲してみたとか…?
彼はワイン2本を空けたと。
酒呑みの彼ですが、病後、
甘い物を好まれるようになったとも。
年が明けて今年の1月14日、
体重が60kgに到達。
ここで復帰の決意をされています。
病状としては、中村勘三郎さんのほうがよかったぐらいだそうですね。
ただ、勘三郎さんは極めて不運なことに、
合併症で厳しい状態に。
たかじんさんが休まれてから、
彼自身、面識のある方々がたくさん鬼籍に入られました。
口で物を食べる、顎を動かす、
自分の体を甘やかさないという強い意志には
感服しました。
自分の入院時にはこんな強い気持ちは持てませんでしたから、
それと、この復帰でまた、
ぼくの闘病生活
とかの漫談のネタが出来たのではないかと思ってしまいました。
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