歴史的な名画というものは、
時々、ドラマティックな発見のされかたをするものです。
その代表がレオナルド・ダ・ヴィンチの
アンギアーリの戦い(アンギアリの戦い)
なのでしょう。
今夜、「見破れ! トリックハンター」で、
そのお話が紹介されましたので、
こちらでも記事にしたいと思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチ最大級の作品として、
現存しているものはわずかに十数点に過ぎません。
その理由には、彼が完全主義者であったことから、
納得のいかない作品は廃棄することがあったことと、
常に新しい技法を模索していて、
その技法を確立するために
多くの時間を費やしていたことなどが挙げられます。
記録によれば、1504年、フィレンツェ共和国からの依頼で、
このヴェッキオ宮殿の「五百人大広間」の
壁画を手がけることになります。
ちなみに、同じタイミングで、
ダ・ヴィンチが作業している向かいの壁では、
ミケランジェロが「カッシーナの戦い」を制作していました。
ただ、現在、ダ・ヴィンチが描いたとされる大広間の壁を見てみても、
彼の絵はありません。
その場所には
このジョルジョ・ヴァザーリの巨大な
「マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い」があります。
そして、現在の宮殿のどこを探しても、
そのダ・ヴィンチの絵はありません。
誤った記録が伝わっているのでしょうか?
しかし、このような絵が残っています。
これは後にルーベンスが
ダ・ヴィンチの絵を模写したものです。
ルーベンス自身はこの絵を見てはいないはずですが、
彼は版画を元に模写していたようです。
そしてダ・ヴィンチのもので、
「アンギアーリの戦い」のためのものとされる
スケッチ、下絵は現存しています。
それはそこに描かれていたと考えるほうが自然でしょう。
では、なぜ、現代それはそこにないのでしょうか?
この宮殿はダ・ヴィンチが壁画を描いたとされるよりも半世紀ほど後、
メディチ家のコジモ1世の宮廷として改築されています。
前出のヴァザーリは画家で建築家でもあり、
ミケランジェロの弟子で、
コジモ1世のお抱え絵師ということで、
この壁には彼の絵が描かれています。
権力者の意向で絵が違うものになることは珍しくなく、
ダ・ヴィンチの壁画もその時に破壊されてしまったのでしょうか?
実はヴァザーリは「画家・彫刻家・建築家列伝」という
芸術家たちの伝記を残しています。
その中で彼はダ・ヴィンチがその壁に描いた絵について、
その素晴らしさを絶賛しています。
そのヴァザーリが素晴らしいと認めている絵を
破壊したりするでしょうか?
いや、彼自身はそれを望まなくても、
権力者のほうが新しい絵を望んでいたかもしれません。
やはり、そのダ・ヴィンチの壁画はもう見られないのでしょうか?
幻の名画は本当に幻に?
カリフォルニア大学のマウリツィオ・セラチーニ教授は、
そうではなく、今でもダ・ヴィンチの壁画は、
この宮殿に眠っている、そう考えていました。
それは、
この文字。
これはヴァザーリの壁画にこの文字を見つけたからです。
この赤丸で囲った部分に、
CERCA TROVA
と書かれています。
聖書にも見られる言葉で、
このイタリア語を日本語にしますと、
探せ されば見つからん
となります。
この絵の中に「文字」はこの2語だけです。
顔料を分析しますと、
この文字の絵の具と周囲の絵の具の時代は同じもので、
ヴァザーリ自身がこの文字を残したものと考えられます。
これはメッセージではないのか
セラチーニ教授はそう考えました。
しかし、この文字を発見した教授ではありましたが、
30年以上もダ・ヴィンチの絵のありかを
見つけることは出来ませんでした。
教授はヴァザーリの人生にその答えを求めます。
すると、こんな事実を見つけました。
同じくフィレンツェにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会、
ここにマサッチオの「聖三位一体」があります。
1427年頃の作品で、この絵も存在を知られていながら、
その所在がわからなかったものです。
それが発見されたのは1860年のこと。
教会の改修の時に発見されたそうです。
このヴァザーリの絵の後ろから。
当時マサッチオの「聖三位一体」は破壊される可能性があり、
彼はこの絵の前に壁を設けて、
そこに自分の絵を描くことで、
マサッチオの絵を守ったんです。
ヴェッキオ宮殿のどこを探しても
見つからなかったダ・ヴィンチの壁画。
探すべきは、
このヴァザーリの絵の後ろだったのではないでしょうか。
それを伝えるためにヴァザーリは
CERCA TROVA
のメッセージを残したのではないでしょうか。
そう考えた教授は、赤外線などを用いて、
壁の後ろにもう一つの壁がないかを調査しました。
すると、わずかに壁の後ろに隙間が確認出来、
その隙間の幅は「聖三位一体」を守った時の
壁の隙間の幅と一致しました。
しかし、ここからが問題です。
この後ろにダ・ヴィンチの壁画がある可能性があるとはいえ、
貴重なヴァザーリの壁画を破壊することは出来ません。
教授はごく小さな穴をドリルで開けて、
マイクロスコープで確認しようと考えますが、
それにも反対意見が。
たしかに、教授にはヴァザーリの巨大壁画のどの部分の後ろに、
ダ・ヴィンチの絵があるのか、
皆目見当がつきません。
大きさもわからないままです。
教授はそれを確実に確かめるためには、
十数ヵ所の穴が必要だと考えていました。
しかし、フィレンツェ市が許可したのは、
修復師が修復可能と判断した位置のうち
7ヵ所という厳しいものでした。
1つめの穴から挿入したマイクロスコープで見えたのはただの壁。
2つめも、3つめも、4つめも、5つめも、6つめも…
開けてもいい穴はあと一つだけ。
最後の穴に差し込んだマイクロスコープが映し出したのは、
それまでとは違う白い絵の具が塗られたような壁でした。
その壁のサンプルを採取し、
それがその絵の具がモナリザで使用されているものと
同じであることが判明、
イタリア文化庁とフィレンツェ市議会は
調査継続の許可を教授に与えています。
ヴァザーリがダ・ヴィンチ最大の傑作を守ったと、
考えていいのかもしれません。
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見破れ! トリックハンターで扱われたダ・ヴィンチの「アンギアーリ(アンギアリ)の戦い」について
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