こんばんは。華原朋美です。
私は去年、5年半ぶりに復帰することが出来ました。
今、歌が歌えることを心から嬉しく思います。
今日はこれまで歩んできた道程をお話しします。
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先週の番組は彼女のこの語りで始まりました。
彼女が大ヒット歌手であること、
また、失恋の後のことは多くの方がご存じだと思います。
ふとしたことから手にした睡眠薬と精神安定剤を
過剰に摂取し、その人生を狂わせました。
それとの長く辛い戦いを支えていたのが、
彼女のご家族。
番組では、ずっと彼女を支え見守ってきたお兄さんが
当時のことを話されていました。
栃木県北部、那須高原。
休業中、彼女は頻繁にここを訪問、
動物たちと触れ合い、心と体をリフレッシュしてきました。
1974年、彼女は二人の兄の下の妹として生まれ、
また、弟が生まれたことで男の子の中で育ちます。
バレーに体操、乗馬に水泳、
運動神経抜群の明るい女の子でした。
中学生の頃から芸能界に憧れ、
高校在学中から雑誌のモデルとして活動を始めます。
卒業後はグラビアアイドルとして活躍、
20歳の時、その転機は訪れました。
大物音楽プロデューサーに見初められ、
1995年9月、「keep yourself alive」で
新人歌手としてデビューします。
お姫様ですね。あれは。
その当時、付き合っていた方も、
すごく調子がいい状況になっていて、
出す曲出す曲が全て売れて、みたいな。
その彼女としても優しくしてもらえましたし、
まさにお姫様のような感じだったのかなって。
2ndシングル「I BELIEVE」がミリオンヒット。
1996年、3rdシングル「I'm proud」で2作連続ミリオン。
これらの曲を収録したアルバム「LOVE BRACE」は
トリプルミリオンの売り上げを記録します。
そして、紅白にも出場。
彼女のお兄さんの忠道さんは、
高齢者向けの住宅を運営しています。
ホテル住まいみたいな感じだったんですね。当時は。
ホテルも、最高級のホテルに加えて、
そこの一番いい部屋だったりするんです。
見たことのない世界ですよね。
そういうとこに呼ばれて行くんですけど、
なんとなく、毎日がさみしそうな感じが見えたので、
テレビに出たり、歌を歌っている時は
楽しそうにやってるんですけど、
プライベートの彼女自身はそんなに
嬉しくて嬉しくてっていう感じではなかったのは事実ですね。
憧れの芸能界で瞬く間に夢を叶えた彼女でしたが、
歌手デビューから2年、
恋愛が思うようにいかず、
歌手としての将来にも不安を抱くようになります。
「歌もきっとこれから先、歌えなくなるんだろう」
みたいな、そういう不安ばっかりで、
不安、不安、不安、みたいな…
「絶対、いなくなっちゃうんだ」なって、
自分の中で確信してた。
「捨てられる」っていう…
それは凄く思ってましたね。
お兄さんは既に異変に気付かれていたようです。
食べるものはカップラーメンとか、
そういうものしか食べていないようで、
机の上に大量の薬が見られるようになっていったんですね。
「これどうしたの?」って訊いたら、
「寝られない時だとか、心が落ち着かない時に飲みなさい
ということで、先生から出してもらったお薬なんです」
っていう話で、
それで見てみたら、睡眠薬とか精神安定剤とか、
その類いのものがたくさん置いてあったんですね。
1998年、彼と破局。
公私両面でのパートナーを失い、
芸能界で新たな方向性を模索する必要性が出てきました。
司会やコントにも挑戦、
ミュージカルにも活躍の場を広げました。
私生活では新たな恋が。
しかし、思うようにいかず、
彼女の心の闇は広がっていきました。
男の人が出来ると、私、ほんとにダメなんですね。
その人とお付き合いしますってなって、
それまで大事にしてきたものとか、
私を大事にして下さった方々とか、
家族を含めてそうなんですけど、
そういう大切なことを、
どっかに捨てちゃうんですよね。
仕事と恋愛、何もかも上手くいかず、
心のバランスを崩した彼女の逃げ道は薬物でした。
大量の睡眠薬や精神安定剤を口にし、
もはや、それらに依存していました。
お兄さんのお話です。
お薬を買いに行きますよね。
買いに行ったその日に、タクシーの中で
ボリボリラムネを食べるように飲んでしまうんですよ。
で、朦朧とした状態になりますよね。
タクシーの中で倒れているところを
運転手さんが「大丈夫ですか」っていうことで、
警察を呼ばれ、救急車を呼んで、
それで救急搬送っていうことが…、
何度くらいでしょうか…?
十回じゃすまないと思いますね。
そんなことをずっと続けていると、
だんだん家族も疲弊してくるし、
「なんでなんだよ!」って強く当たる時もありますよね。
そうするとものすごい眼で見るんですよ。
「お前なんか、家族じゃねえ!」って…
深刻な薬物依存からなんとか彼女を救おうと、
必死に支え続けたご家族でしたが、
しかし、その事がかえって状況を悪化させているのかもしれない、
そう考えたご家族は、
彼女からの連絡に一切応じないようにしました。
2007年6月、所属事務所を解雇。
それは仕事のキャンセルが続き、
芸能活動を支えることが不可能だという理由からでした。
事務所に迷惑をかけてしまったこと、
それさえも、自分で気が付かないところまできていたんですね。
だから、解雇通知が来ても納得出来ないというか、
だから、破って捨てちゃう…
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この頃、こんな見出しがスポーツ紙の1面に。
それはデビューから12年目のことでした。
当時のことをお兄さんはこのようにお話になります。
事務所から解雇していただいたということで、
一つの節目が来たっていうことで、
またみんなで集まったんです。
集まって彼女の部屋に行ったら、
もうゴミ屋敷状態になっていてですね。
お風呂ももう何日も入ってなかったんでしょうね。
イヌがベッドの下で怯えていました。
何日も食事も摂ってなかったと思うんですね。
もう、廃人同然ですよ。
普段の薬が切れている状態の彼女は
良い子だったりするんですよ。
なのに、薬を飲んでしまうと人が変わったようになってしまって、
だからこれは、一つの結論として、
家族としては、薬がいけないんだと。
何としても薬を断たなくてはならないと、
精神科の閉鎖病棟に彼女を入院させました。
彼女はこの時について…
一番初めに入った時は、
ほんとに「出せ! こら!」っていう…、
言葉遣いさえも「出せこら」とか、
そういう感じで壁を叩いていましたね。
…続きます。
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