京都大学教育学研究科、
鹿子木康弘特定助教ら研究グループの実験です。
約20秒間の円形と四角形の図形が動いている動画を
乳幼児に見せます。
見せたのは四角形が絶えず円形に追い回されている、
小突かれているというものでした。
この後、赤ちゃんの目の前に実物としての
「四角形」と「円形」を用意、
赤ちゃんがどのような反応を示すかを観察します。
すると、75%以上の乳幼児が「四角形」を手にしました。
攻撃を受けていたほうです。
また、図形が接触せず、ただ動いているだけの動画を見せた場合、
その後に見せた実物に対する反応では、
2つの図形の選択に有意な差は見られませんでした。
鹿子木特定助教は
犠牲者を選択する反応は、動物行動学で同情的態度と解釈されており、人間は生来的に善である可能性を示唆しているのでは
と話しています。
10カ月児も被害者に同情?=図形選択の実験で確認-京大
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c6%fd%cd%c4%bb%f9&k=201306/2013061300071
「人は本来は善人の可能性」の実験結果
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130613/t10015264491000.html
下のNHKでは動画で見られます。
人は生まれながらに善なのか?
人は生まれながらに悪なのか?
性善説と性悪説。
私も考えたことはあるんですが、
生物学の本をたくさん読むようになってからは、
少し違う興味が出てきました。
それは、
善とは何か?
悪とは何か?
で、また、
我々はその価値観をいつ獲得したのか?
という疑問です。
たとえば、カッコウのヒナの行為に善悪はあるだろうかと。
カッコウはオオヨシキリなどに托卵して、
代わりに子育てをさせる訳ですが、
宿主の巣に卵を産み付ける時に、
元々あった宿主の卵を一つだけ持ち去ります。
数の異常に気付かれないためなのでしょう。
多くの場合、孵化するのはカッコウが宿主の卵よりも
少しだけ先になります。
カッコウのヒナにはすぐにしなければならない仕事があります。
巣から宿主たちの実の子である卵を捨ててしまいます。
具体的には、背中に乗せて押し出し、
巣の縁から落下させます。
カッコウの背中には、
そのための窪みがあったりもします。
落とされた卵の命はそれで終わり。
そうすれば、宿主の親鳥が運んでくる餌を独り占め出来ます。
時に孵化のタイミングが狂うなどして、
カッコウのヒナと宿主のヒナが同時に巣の中にいる状況でも、
カッコウのヒナは宿主のヒナを自分の背中に乗せて、
巣の外へ押し出そうとします。
カッコウのヒナは宿主よりも大型ですので、
ただ押されて外へ落ちて、
即死はしませんが、何者かに食べられるか、
干からびて死ぬだけです。
カッコウのヒナの行為が善でも悪でもないことは明らかで、
では、私たち人類はどこでこの価値観を獲得したのでしょうか?
私たちが社会性を獲得し、
自らが属する社会で生活するためには、
その意識が必要だったから、
その意識がないと子孫を残せないため、
私たち人類は
「善」と「悪」という意識を創造
したのかもしれません。
では、人間は生得的に「善」と「悪」という意識を
持って生まれてくるのでしょうか?
その点は怪しいのでしょうね。
ただ、器としての「善」はあり得るのかもと思います。
孟子も憐憫の心、羞悪、廉恥の心、辞譲の心、是非の心が
人間生まれながらに備わっているとしているものの、
それらを努めて育てなければならないともしています。
今回の実験で、攻撃されている「四角形」を
多くの赤ちゃんが手に取りました。
この実験の評価は、
人間が成長していく過程で、
努力して育てなければならない部分を
見ることが出来たのかもしれない、
そんなことを考えました。
↧
10カ月児も被害者に同情?=図形選択の実験で確認 ~赤ちゃんは善なのか? 性善説と性悪説~
↧