3年前にこのテーマの記事をお書きしていて、
今でもアクセスがある記事なんですが、
その後もちらちらと別のお話をお書きしてきたと思うんですが、
「さんまのまんま」に六代目中村勘九郎さん、
二代目中村七之助さんご兄弟がご出演で、
さんまさんとの奇縁のお話ばかりでしたので、
ここでまとめを兼ねて一つの記事にしたいと思います。
昔、三木のり平さんと勘三郎さんの
勘九郎・のり平の大人の幼稚園
というラジオ番組があり、
それは6歳の勘三郎さんが校長先生役で、
四十手前の三木のり平さんが生徒役だったそうです。
その番組が録音されているテープを前に、
当時ディレクターだったフジテレビの三宅恵介さんと、
さんまさんが「これをテレビ番組にしたい」と話し合った結果、
あっぱれさんま大先生
という形になりました。
もともとはこの番組も大人の相談に乗れる
生意気な子供
を探すことから始まったようですね。
その番組の生徒役の一人として
ほぼレギュラー出演されていたのが前田愛さんで、
その前田愛さんとご結婚されたのが
勘三郎さんのご長男の勘九郎さんだという事実は、
さんまさんも
気持ち悪すぎてあんまり言うてないねん
と仰います。
たしかに、私も放送でこの話を聞くのは、
3回目ぐらいのような気がします。
勘三郎さんのご幼少の頃の番組を元に作った番組に
出演してされていた前田愛さんが
勘三郎さんのご長男と、という訳ですから、
偶然とはいえ不思議な話ですよね。
このさんまのまんまでも、
勘九郎さんはほぼ初めてお聞きになった話だったようで、
それで今はご夫妻の間に二人のお子さんがいらっしゃるんですから、
時間の流れとともに、不思議な縁を感じます。
生前、勘三郎さんはこうなったら、
うちの七之助とIMALUちゃんを
と話しておられましたが、
この日、七之助さんを前にしてさんまさんも
もうてくれるか?
なんてお話でした。
さらにもう少し。
これもラジオ番組なのでしょうか。
「運動会」での選手宣誓のために進み出た6歳の勘三郎さんは、
せんせい!
おしっこ!
と大爆笑を取り、
さんまさんのご実家でも
勘九郎くん、かわいい
勘九郎くん、面白い
と大絶賛、
これぐらいだったら、俺のほうがおもろいわい
と同じく6歳のさんまさんは感じ、
それが芸人への道の入口になった、と。
もう、俺のこと「お父さん」言うてええよ
と、この日のさんまのまんまで、
勘九郎さん、七之助さんを前にさんまさんが仰っていました。
そんな明石家さんまさんと、
亡くなられた十八代目中村勘三郎さん最後の共演は2年前の
明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー
だったようです。
その年の不幸な話をする番組でね
病床から、芸能人用の番号ではなく、
一般向けの番号に懸命に電話されていたそうです。
勘三郎さんは番組のスタッフもご存じのはずなのに。
検索してみましたら、ログがありました。
もう、ほんとにね、とにかくね、コロンビアで倒れたのよ。それで、ご飯食べてる間に全身痙攣して。隣にいた嫁に「あなた目立ちたいの?」と言われた。大竹しのぶには「(さんまが)絶対カネを鳴らしてくれる」と言われた
というお話。
過去のバチが当たってるんですよ。まさか、大竹しのぶがこの番組を見ているとは思わなかった
はさんまさんのお言葉。
ちなみに、さんまさんの判定は大竹さんの予想どおり「合格」。
選ばれたパネルには「3D液晶テレビ」と。
あと、番組冒頭では、
十七代目中村勘三郎さん…、
十八代目のお父さん
で今の勘九郎さん、七之助さんのお祖父さんが、
昔、さんまさんが「オレたちひょうきん族」でやっていた
帰ってよ
のギャグを舞台でされていて、
そして、十八代目が「明石家マンション物語」での
ダメダメ
を舞台で。
また何かヒットギャグをさんまさんが作って、
その時に今の勘九郎さん、七之助さんのどちらかが
やってくれれば三代続けてという夢が叶う、
昔の俺のギャグじゃなくて、
その時に流行している俺のギャグじゃないと。
焦ってんねん。
そんなことを仰っていました。
その話に勘九郎さんは
三代って言いますけど、
息子、生まれたんで、四代でも…
と返されていました。
奇縁と必然を感じましたね。
そういえば、
ヱビスビールの六代目勘九郎さんですけれど、
最後の台詞、お父さんの声に似てますよね。
もちろん、ご兄弟ともに亡くなられた勘三郎さんの面影が見えます。
おそらく、勘九郎さんは何度もそう言われてきているでしょうけれど、
テレビでこのCMを見る度に、
その後ろの十八代目の姿を見てしまいますね。
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「さんまのまんま」 さんまさんと故中村勘三郎さん、勘九郎さん、七之助さん、前田愛さんの不思議な縁
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