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大河ドラマ 平清盛 第二話「無頼の高平太」 その背景 ~白河法皇の生涯 その1~

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大河ドラマ 平清盛

今回から平清盛は松山ケンイチさんとなり、
若い頃の清盛の描写となりました。
(元服は12歳ぐらいでしょうけれど)

大河ドラマ 平清盛

無頼漢として描かれましたね。
友と友の父のために法皇に直に訴えるという部分もありましたが、
守衛役の者は、気軽に取り次いではいけませんよねえ。






大河ドラマ 平清盛





これで伊東四朗さんの白河法皇も最後なんですね。
2話分だけで退場なのが惜しいです。

大河ドラマ 平清盛


さて、現実の白河法皇のお話です。

賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの

「平家物語」巻一には白河法皇の嘆きの言葉として、
このように書かれているようです。
意のままにならぬ三つを挙げています。
賀茂川は古来より暴れ川とされていて、
双六のサイコロは乱数であるので意のままにならない、
あるいは流行の賭博の取り締まりの進捗について嘆いたとも。
最後の山法師は比叡山延暦寺の僧のこと。
この時代、寺社は「強訴(ごうそ)」に出る事がありました。
何かしら朝廷に要求があると、
神威を盾に(延暦寺は「日吉大社の神輿」を担ぎ出し)、
目的の要求を通そうとしていました。
それが受け入れられないと、御所の門前にそれを放置し、
政治機能を停止させます。
御輿は神仏の乗り物ですから、
邪魔だからといって撤去も出来ないという訳です。
こういう僧たちへの対策として、
清盛の祖父・正盛らを北面武士としていたのでした。

では、これら以外は白河院の思いの儘になったのかといいますと、
少なくとも、最初はそうでもなかったようです。


1053年7月7日、彼は後三条天皇の第一皇子として生まれます。
諱は貞仁。
父が即位した翌年1069年に立太子を受け、皇太子に。
1072年には父から譲位されます。
この時、後三条天皇の意向で白河天皇の異母弟・実仁親王が皇太弟となります。
つまり、白河天皇の次を、
後三条上皇が指名したことになります。
この時の実仁親王は2歳でした。
白河天皇にしてみれば、天皇にはなったものの、
これは自分の子に跡を継がせられないという不満となります。

1085年実仁親王病没、翌年、白河天皇は嫡子・善仁親王を立太子、
同時に彼に譲位し上皇となります。
善仁親王は堀河天皇となりますが、この時8歳。
この時には実仁親王の同母弟も皇位継承候補とされていましたから、
急ぎ譲位したということになります。
白河上皇にしてみれば、
どうしても自らの血筋を跡継ぎにしたかったのでしょうか、
ここから院政が始まる事となりました。
1096年に出家、法皇となり、
1103年、堀河天皇に男子・宗仁親王誕生、
白河法皇はこの宗仁親王を生後七ヶ月で立太子、
堀河天皇が病で崩御後、5歳で鳥羽天皇とします。
この鳥羽天皇の子に1119年、男子・顕仁親王が生まれる訳ですが、
ドラマで描かれたように、ここがとても複雑な関係で…
お話は明晩に続きます。







ねてしてタペ




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