その時、言葉が世界を動かした!愛と勇気と感動のスピーチ
と題して、今回の講師は
コピーライターでクリエイティブディレクターの川上徹也さん。
人の心を動かした演説についてのお話です。
また、この記事ではその演説の動画をご紹介します。
まずはマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、
キング牧師のこの有名な演説から。
1955年アラバマ州モンゴメリー、
バスで1人黒人女性が白人に席を譲らなかったとして、
女性が逮捕され有罪に。
当時のアメリカにはあからさまな人種差別がありました。
南部には人種分離法(ジム・クロウ法)という法律があり、
待合室なども有色人種は別、
座席なども白人優先で、彼女は白人優先席に座っていました。
バスの運転手は彼女に席を譲るように指示しましたが、
彼女がそれに従わなかったため、
運転手が警察に通報、運転手の座席指示に従わなかったという容疑で
逮捕、そして人種分離法違反として有罪、罰金刑が宣告されます。
この出来事にの黒人たちの怒りが爆発。
中には武器を持ち、白人に対する報復、
破壊活動を行う者も。
その事態に立ち上がったのが26歳のキング牧師でした。
暴力ではなく整然と抗議するんだ!
黒人がバスで差別されなくなるまで、
バスに乗らずに歩こう!
彼はそう訴えました。
バスボイコット運動
非暴力主義によるこの運動により、
市のバス事業は財政破綻の危機に陥り、
やがて、連邦最高裁判所はモンゴメリーの人種隔離政策に対して
違憲判決を下しました。
1963年8月28日、人種差別撤廃を訴えるため、
キング牧師らはワシントンでのデモ行進を行いました。
彼らの考えに賛同し参加したのは25万人以上。
そのうちの4分の1が白人であったようです。
その時になされた演説が上の
I Have a Dream
です。
私には夢がある。
いつの日かジョージアの赤土の丘の上で
かつての奴隷の子孫たちと
かつての奴隷所有車の子孫が兄弟のように
同じテーブルにつくことができる夢です。
私の4人の幼い子供たちが
いつの日か肌の色ではなく
人格そのものによって評価される国に
住めるようになるという夢です。
彼が先頭に立ち、人種差別を廃絶する運動が続けられ、
連邦政府も動かされていきます。
1964年7月2日に公民権法が制定、
これにより人種差別を規定する、肯定する法律は消え去りました。
ここに彼らは勝利したのです。
次は1968年4月4日テネシー州メンフィスの演説です。
依然として亡くならない差別、
そして全米がベトナム戦争へと向かう中、
彼は多くの敵を作ってきたのでしょう。
この演説の翌日、銃により暗殺されてしまいました。
Free at last
「ついに自由を得た」
彼の墓碑にはそう刻まれてます。
アドルフ・ヒトラーはその演説力により、
ドイツ国民の支持を得ていきました。
我が党の党員がわすが7人であった時も
党は2つの原則をはっきりと示していた。
一つ目は思想的に明確な世界観を持つ党であるという事、
二つ目はそれ故にドイツで唯一の妥協なき権力を求めるという事だ。
彼が好んだのは、具体的な数字と簡単な言葉による演説でした。
我々は自らを最良の血統の代表だと見なしている。
そして我々は日々の指導的地位を保持し、
決して手放さないことを決心したのだ!-
そして、彼は共通の敵を作り上げます。
生活が苦しいのはユダヤ人の裏切りだというデマを悪用、
民衆に憎悪の心を植え付けていきます。
そして現在、我々は自身をさらに詳しく調べ上げ、
望まない悪しきものを取り除かなければならないのであり、
悪しきものの居場所は我々の中にはないのだ!
身振り手振りを駆使し民衆を扇動。
国家社会主義運動万歳! ドイツ万歳!
ヒトラーの独裁政治は国内だけにどとまらず、
力をつけた彼らに対し世界は、
沈黙するか無視するしかありませんでした。
しかし、この男は違っていました。
奇しくも、ヒトラーと同じ年に生まれた
チャールズ・チャップリンがその人。
彼のほうがヒトラーよりもわずかに4日早い誕生日です。
この時、彼はアメリカで既に
喜劇王として不動の人気を得ていました。
そんなスーパースターが、ヒトラーの暴虐に対抗しようと考えます。
彼の武器は言葉。
この時代の映画は既にトーキーが隆盛でしたが、
彼のサイレントだけは常に高い興行成績を得ていました。
彼はサイレントこそ最高の表現方法として、
無声映画を作り続けていたんです。
しかし、今こそ、メッセージを世界に伝えるために、
トーキーを製作することを決心します。
それが
「独裁者(The Great Dictator)」。
ヒトラーを模した独裁者と、
床屋のチャーリーが偶然入れ替わり兵士たちの前で演説することに…。
公開前、その内容が新聞で報じられると、
ナチスから製作中止の圧力がかけられます。
ヒトラーの権力は世界を席巻、
チャップリンの身の安全の保障もない状態になっていきます。
それでも、彼は公開をやめませんでした。
それは、命がけの演説。
ユダヤ人も黒人も白人も
人類は互いに助け合うべきである。
他人の降服を念願として
互いに憎み合ったりしてはならない。
貪欲はやがて姿を消し、恐怖もやがて消え去り、
独裁者は死に絶える。
大衆は再び権力を取り戻し、
自由は決して失われない!
兵士諸君! 犠牲になるな!
独裁者の奴隷になるな!
彼らは諸君を欺き、犠牲を強いて
家畜のように追い回している!
彼らは人間ではない!
心も頭も機械に等しい!
諸君は機械ではない! 人間だ!
兵士諸君、民主々義のために団結しよう!
彼が喜劇人として撮った映画で、
この部分まではそれまでのサイレント同様、
あるいはそれら以上に楽しい映画となっています。
そしてこのクライマックスの部分。
作品としては別物ともいえます。
それだけ、彼が本当に言いたかったことが
この時の"演説"に込められています。
もしも、ご覧でないかたがいらっしゃいましたら、
ぜひとも、一度ご覧下さい。
映画は大ヒット。
この演説部分はラジオでも放送されました。
映画ではこの演説で拍手喝采を浴びる中、
絶望に打ちひしがれる恋人のハンナに呼びかけます。
ハンナ、聞こえるかい? 元気をお出し。
ご覧、暗い雲が消え去った。太陽が輝いている。
明るい光が差し始めた。新しい世界が開けてきた。
希望に輝く未来に向かって輝かしい未来が
キミにも私にもやってくる。我々全てに。
ハンナ、元気をお出し。
ヒトラーはその演説で人々に憎悪、偏見、暴力を植え付け、
チャップリンはその演説で人々に光、勇気、希望を与えました。