「その時、言葉が世界を動かした!愛と勇気と感動のスピーチ」
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11619578022.html
こちらからの続きです。
マララ・ユスフザイさん、
1997年7月12日、パキスタンスワート地区生まれで現在16歳。
昨年10月9日、通っていた学校からの下校時、
いつものようにスクールバスに乗っていたところ、
複数の何者かに銃撃を受けました。
当時15歳の彼女は友人たちともに、
頭部と頸部に銃弾を受けて重傷となります。
このスクールバス襲撃事件について、
パキスタン・タリバン運動が犯行声明を出していました。
パキスタン・タリバン運動という組織は、
パキスタンのアフガニスタン国境付近で活動している武装集団です。
なぜ、この組織は15歳の少女を襲ったのか。
彼女が11歳の時に彼女が住むスワート地区において、
パキスタン・タリバン運動が生活に及ぼしている影響や、
また、女子校をタリバンが200以上も破壊していることを
英国BBC放送のブログで訴えました。
また、女性への教育の必要性、
平和の尊さを訴える活動を開始、
パキスタン政府は彼女の勇気ある行動に彼女の本名を公開、
その後、軍がスワート地区からパキスタン・タリバン運動を追放し、
彼女は政府の講演会などで女性の権利などを述べる存在となりますが、
パキスタン・タリバン運動から命を狙われる存在となりました。
この武装組織は「欧米の文化を推進している」として、
また「我々に敵対する者は誰でも攻撃を受けるだろう」と宣言します。
15歳の少女が標的とされたこの凶行に、
世界中から非難の声が浴びせられ、
また、その支援を申し出る人たちが出現します。
この襲撃事件の容疑者5人が逮捕される一方、
彼女は奇蹟的ともいえる回復を見せます。
身の安全のため英国へと転院した彼女は、
事件から7日後には筆談での会話を始めています。
今年の初めには退院、リハビリを始め、
再手術も乗り越え、
事件からわずか9ヵ月後、
7月12日、国連本部で演説します。
親愛なるみなさん、2012年10月9日、
タリバンは私の額の左側を銃で撃ちました。
私の友人も撃たれました。
彼らは銃弾で私たちを黙らせようと考えたのです。
しかし、私の人生で変わったものは何一つありません。
次のものを覗いて。
私の中で弱さ、恐怖、絶望が死にました。
強さ、力、そして勇気が生まれたのです。
親愛なる少年少女のみなさん、
私は誰にも抗議していません。
タリバンや他のテロリストグループへの
個人的復讐心からスピーチをしている訳でもありません。
ここでの目的は全ての子供に教育が与えられる権利を主張することです。
全ての過激派、とりわけタリバンの息子や娘たちのために、
教育が必要だと思うのです。
私は自分を撃ったタリバンの兵士さえも憎んではいません。
私が銃を手にして彼が私の前に立っていたとしても、
私は彼を撃たないでしょう。
親愛なる少年少女のみなさん、
私たちは暗闇の中にいると光の大切さに気付きます。
私たちは沈黙させられると、
声を上げることの大切さに気付きます。
同じように私たちがパキスタン北部のスワートにいて、
銃を目にしたとき、
ペンと本の大切さに気付きました。
少年たち、少女たちが明るい平和な未来を待ち望んでいることを
忘れてはいけません。
無学、貧困、そしてテロリズムと闘いましょう。
本を手に取り、ペンを握りましょう。
それが私たちにとって、最も強力な武器なのです。
1人の子供、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、
それで世界を変えられます。
教育こそがただ一つの解決策です。
教育第一に、ありがとうございました。
世界からの賞賛の声は、
彼女をノーベル平和賞候補と噂されるほどにまでしました。
しかし、タリバンは再び彼女の命を狙うと宣言しています。
先週の番組を2回に分けて記事にさせていただくつもりでしたが、
マララさんの演説の部分が長くなりましたので、
もう一晩、続けたいと思います。
ホセ・ムヒカ、現ウルグアイ大統領、
世界で最も貧しい大統領
の演説を最後とします。
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ビーバップ!ハイヒール「世界を動かしたスピーチ」 その2 マララさんの国連演説 -演説動画-
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