先週の番組から。
藤原頼経
歴史好きでも彼が何者なのか、
わからない方も多いかと思います。
私もようやくこのあたりと、
南北朝のごちゃごちゃした時代のだいたいの流れが把握出来たところです。
鎌倉幕府は源氏が開いた幕府でしたが、
源氏が将軍だったのは第三代実朝までで、
彼が暗殺された以後、藤原氏や親王が将軍職となります。
藤原頼経は第4代の摂家将軍。
子どもの頃
られ
された将軍がいた
「吾妻鏡」より
1223年4月11日
若君の頼経さまの着物がネズミに食い破られました。
今日午前10時頃に石山禅尼が見つけました。
4月16日
今朝夜明けに、若君の寿命延長の儀式を行いました。
これは「ネズミにお着物を食べられる」という出来事を占ったら
病気に気をつけるようにと出たからです。
4月28日
若君は西の庭へ出て、手毬の会に出場されました。
その最中、カラスにフンをかけられました。
驚いて占ったところ、病気の予告でした。
頼朝からの血筋が絶えたので、
京から呼ばれた時には9歳でしたけれど、
この出来事はそれよりも前、
5歳ぐらいの頃の話です。
まあ、藤原氏のボンとはいえ、
特にわざわざ書き残すのような話でもないんです。
仮に事実だとしても。
彼は後に将軍職を罷免されるんですね。
北条氏の傀儡であったはずの彼に、
反北条の勢力が接近したあたりで、
北条氏にとっては都合のよくない人物になったのでしょう。
そして罷免した後に、
頼経のことを「こんなしょーもない奴やった」と言いたいがために、
こんなどうでもいい話をわざわざ残しているということなのでしょう。
以上、
子供の頃、ネズミに着物を破られ
鳥にフンを落とされた将軍がいた
でした。
足利義持
父の義満はよく認識されていると思いますが、
この室町幕府第4代将軍はマイナーかと思います。
ただ、室町幕府で最も長い期間将軍職に就いていた人物でもあります。
お風呂で過ぎて
った
将軍がいた
「満済准后日記」より
1月7日
義持さまは、お尻に腫れ物ができたという。
お風呂で掻きむしったので、傷ができちゃったとか。
でも、大したことはないそうだ。
1月9日
掻きむしったお尻の腫れ物の傷が
ひどくなっているという。おだいじに。
1月17日
きょう、各大名が集まって、
義持さまの治療法や、ご祈祷のことを相談した。
結局、義持さまの体は、もはや為す術がないそうだ…
1月18日
午前11時ごろ、義持さまが亡くなられた。享年43だった。
彼には溺愛していた第5代将軍になる長男・義量がいましたが、
17歳で早世しています。
義持が元気な時にはそれでよかったんですけれど、
出来物を掻きむしってしまったことで、
床に伏すようになると、後継者決定が急務となります。
義持はその決定を拒否。何度尋ねても意向は聞けませんでした。
そこで重臣は、義持の弟4人から選ぶことになるんですが、
それがなんとくじ引きだったんです。
室町幕府は義持の死を境に力を失っていき、
戦国時代へとなだれ込んでいきますが、
この義持の死と、後事を託す人材がいなかったことが
要因の一つとなりました。
義持の死因は敗血症だと考えられています。
義量を失った時の義持は40歳、
正室の日野栄子も36歳で、
まだ世継ぎの期待もあったからこそ、
後継者を決めかねたということもあったのでしょうか。
彼がお尻の腫れ物を掻きむしらなければ、
室町幕府も、後の世も違う形になっていたかもしれません。
以上、
お風呂でお尻を掻きむしり過ぎて
死んでしまった将軍がいた
でした。
徳川慶喜
急に超メジャーな人物になります。
鎌倉幕府より続いた武家政権は彼で終わり、
最後の征夷大将軍となりました。
を
見たせいでられなくなった将軍がいた
「徳川慶喜家にようこそ - わが家に伝わる愛すべき『最後の将軍』の横顔」より
ただ、面白いのは、晩年になるとひどく神経質なところも出てきて、
どこに行くのにも水とアルコールランプを持参し、
それで入れるお茶は以外はいっさい口にしなかった。
これは疫病を恐れたためらしい。
また、あるときは大好物のきな粉を顕微鏡で眺めていたら、
そこに虫がいっぱいいるのを発見し、
それからはきな粉をいっさい食べなくなってしまったという。
食べ物を顕微鏡をのぞくというあたりは、いかにも慶喜らしい。
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徳川慶喜家にようこそ―わが家に伝わる愛すべき「最後の将軍」の横顔/徳川 慶朝
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これは現在の徳川慶喜家当主・徳川慶朝さんの著書です。
慶喜の曾孫で、同時に母方の血筋では松平容保の曾孫でもあります。
なお、「徳川慶喜家」というのは、
明治政府から慶喜が蟄居から赦され、
徳川本家とは別に公爵家として興されたものです。
趣味人として知られる慶喜、
自転車や写真など多趣味でもあるんですが、
それは明治政府に対して、
国政への無関心さをアピールしていたと考えることも出来るんですが、
単純に新しいものが好きだったんでしょう。
顕微鏡もその中の一つで、
好奇心旺盛な慶喜は大好物で毎日食べていたきな粉は
顕微鏡ではどう見えるだろうかと考えたのでしょうか。
それで顕微鏡でなければ気付かないような虫の類いを見てしまい、
以後、きな粉を寄せ付けなくなったというお話。
いかにも、私たちにとって、
最も身近な将軍・徳川慶喜らしいエピソードであります。
以上、
顕微鏡できな粉を見たせいで
きな粉を食べられなくなった将軍がいた
でした。
「コヤブ歴史堂~にゃんたの(秘)ファイル~」には、
「小籔・にゃんたのラジオ歴史堂」という姉妹番組があります。
水曜と木曜の17:00~17:10。
内容はテレビで扱った人物の別のエピソードなどです。
一応、にゃんたは「秘密ファイルにゃ」とか言っていますけれど、
にゃんたのぬいぐるみもそれを操るおねえさんもいません。
ラジオになりますと、にゃんたというよりは、
ほぼザ・プラン9のお~い!久馬さん丸出しとなっております。
こはにわ先生もいないので、
にゃんたが自信なさげになることもなることも。
時間的に聞くことは難しいんですが、
関西の方はタイマーを使用するなどして、
テレビ番組と併せて楽しまれるのもよいかと思います。
ABCラジオ1008kHzです。
源頼朝はお洒落してきた部下にイラッときて斬りつけた
どうやら、頼朝は倹約令を出していたようですね。
それに従わず派手な恰好をしてきた家臣の袖口を斬った、
という話のようです。
徳川家康は宇宙人に会ったことがある
1609年3月4日。
既に大御所となっていた家康は
駿府城の夜空に四角い月を見ます。
そして丁度ひと月後、城中の者が見たことのない姿の人物と遭遇します。
形は小児の如くにて、肉人ともいふべく、
手はありながら、指はなく、指なき手をもて、上を指して立たるものあり。
これを大御所様に報告すると、
追い出せということなので追い払ったそうなんですが、
当時の薬学者は、この者を捕らえて食していたならば、
仙薬となっていたはず、と嘆いたとか。
まあ、とにかく「会った」という訳ではないのかもしれません。