この時代を把握しようとするのは、
なかなか難しいですね。
歴史の授業が大嫌いで他の本を読んでいた私には尚更です。
全然興味が持てなかったんですよね。
特に年号を憶えなければならない理由が理解出来なかったからなんですけれど。
まあ、それはともかく、この時代、
理解しておくべきなのは、
天皇家と摂関家、そして平氏と源氏のそれぞれの動きだと感じました。
これが短い期間に入り乱れてごちゃごちゃしているのが難儀です。
今回の放送では、清盛のライバルとして源義朝が登場、
玉木宏さんでしたね。
源為義が子・義朝を北面武士にと願い出たところ、
鳥羽法皇への目通りもならず、
気がつけば平忠盛の子・清盛がそれに就こうとしているという話でした。
以前もお書きしたように、
北面武士は法皇の院御所の北面を守る役目で、
院の直属軍で、その武力を担わされています。
源為義といえば、河内源氏の棟梁です。
いわゆる源氏とは、この河内源氏のことを指す事が多いようですので、
平氏の棟梁の忠盛と為義は、
武門の両巨頭だということになります。
白河法皇は忠盛の父、正盛の代から重用してきていて、
鳥羽法皇の忠盛の代でも正盛の時のそれよりも、
さらに出世していきます(次回それが見ものに?)。
他方の源為義は、初回での彼の嘆きのように、
任せられる仕事にも差が出てきています。
忠盛と為義との差はどこにあるのでしょうか?
忠盛については、以前の記事と、
また必要があればお書きするとして、
ここでは為義側の原因について考えてみます。
河内源氏三代目棟梁・源義家の嫡男に、
義親という人がいました。
彼は対馬に赴任中、略奪行為を行い民を殺害、
隠岐に流されることとなりますが、
島には行かず出雲国へ、
そこでは国守の代官を殺し、官物を強奪、
朝廷から追討令が下されます。
白河院の命により、その任に当たったのが平正盛でした。
忠盛の父、清盛の祖父です。
正盛はこの命令をひと月の短期間で成し遂げ、
正盛はここから朝廷に一目置かれるようになっていきます。
討たれた源義親は晒し首、為義はその義親の子です。
義親の弟・義忠が河内源氏の棟梁の跡を継ぎます。
が、内紛が続いていた源氏、
義忠は暗殺されてしまいます。
犯人としてその叔父の義綱が追討されることになりました。
(真犯人は義綱の弟・義光とのこと)
その任に当たったのが義親の子・為義です。
彼は義綱の捕縛に成功し、その功により官職を得て、
河内源氏の棟梁となります。
この時、彼は14歳。
歴史に源為義の名前が登場したのはこの時からのようです。
…続きます。
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