歴史研究家の白駒妃登美さんをお招きしての番組、
おもてなしは一日にして成らず 世界が愛した日本人の心
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こちらからの続きです。
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震発生。
この大地震とこの地震が発生させた津波で
我が国は甚大な被害を受けました。
あの時、アメリカ海軍ロナルド・レーガン空母は、
本国からの災害救助支援の指示がまだない状態で、
館長の判断において進路を日本の東北へと変更、
真っ先に被災地の人たちを救おうとしました。
アメリカ軍としては、この東日本大震災に
トモダチ作戦
という作戦名で、被災地に駆けつけ、
瓦礫の撤去や救援物資の運搬で多大なる支援となりました。
中には任務ではなく、休暇を取ってまで参加した兵士も。
時を遡った1950年。
終戦から5年が過ぎた
まだまだ戦争の痛手から抜け出せないでいる日本に、
占領軍、アメリカ海軍提督、
アーレイ・バーク
が海軍副長としてやってきました。
彼は先の日米間の戦闘の中でも、
特に激戦となり両軍合わせて9万人以上が犠牲となった
ソロモン海戦で日本の脅威となった男です。
帝国ホテルに着いた彼にホテルマンが声を掛けます。
「お荷物をお持ちしましょう」
彼は強い語気で答えます。
やめてくれ。最低限のこと以外は私に関わらないでくれ!
多くの仲間と部下を殺した敵の日本人を嫌い、
また、以前から「Jap」「Yellow monkeys」などと
公然と口にしていて、日本人を蔑視していた人物だったのです。
ホテルの誰が話しかけても彼は無視、
日本人のやることなすこと全てが気に入らなかったようです。
赴任から1ヶ月、彼は殺風景なこのホテルの部屋に、
一輪の花を生けます。
生けたといっても、グラスに
買ってきた切り花を挿しただけの簡素なもの。
それはこの最悪の環境におけるせめてもの慰めだったのかもしれません。
翌日、彼は夜勤から部屋に戻ってきて、
憤ることになります。
まったく、余計なことを
彼が花を挿したグラスが一夜にして花瓶に変わっていたのです。
すぐさま、フロントに苦情を告げます。
なぜ、余計なことをするんだ!
誰が花を花瓶に移せと言った!?
フロントによれば、
それはホテルのサービスではないようです。
ホテルの指示ではないとすれば、
いったい誰がそんなことをしたのでしょうか?
さらに数日後、
いったい、誰がこんなことを…?
花瓶にはそれまでになかった新鮮な花が生けられていました。
その後も日を追うごとに花は増え続けます。
バークは再びフロントへ。
私の部屋に花を飾っているのが誰なのか探してくれ
彼は"犯人"捜しをしろというのです。
ホテルが調べるとその人物が判明しました。
それはバークの部屋を担当していた女性従業員。
彼女は少ない給金から花を買い、
バークの部屋に生けていたのでした。
バークが彼女に質問します。
君はなぜこんなことを?
彼女は答えました。
花がお好きだと思いまして…
バークはズボンのポケットに手を遣り、
そうか…。ならば、私は君のしたことに
お金を支払わなくてはならない。
受け取りたまえ。
彼女はそれを拒絶します。
私はお客様にただ居心地良く過ごしてもらいたいと
思っただけなんです。
彼には理解出来ませんでした。
本国では何かのサービスを受けた場合、
謝礼を支払うのが当たり前です。
しかし、彼女はそれを受け取りません。
さらに聞けば、彼女は戦争未亡人であるらしく、
夫は米軍との戦闘での戦死していたのです。
彼は考え込みました。
私は敵だったはずのアメリカ人なのに、
どうしてこんな事が出来るんだ…?
彼は気付きました。
彼女と自分が同じ境遇であるということに。
自分は日本人を毛嫌いしているというのに、
彼女は出来る限りのもてなしをしている。
この違いはいったい何なんだ…?
その後、彼は日本が占領状態から一日でも早く解放されるよう、
軍人の立場から尽力します。
嫌日家として来日した彼が、
この時から親日家として知られるようになりました。
時は流れて2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震発生。
あの時、アメリカ海軍ロナルド・レーガン空母は、
米韓合同演習のために韓国へと向かっていましたが、
本国からの災害救助支援の指令がまだない状態で、
館長の判断において進路を日本の東北へと変更、
真っ先に被災地の人たちを救おうとしました。
その館長の名前は、
トム・バーク
彼はかつてのアメリカ海軍提督、
アーレイ・バークの孫だったのです。
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ビーバップ!ハイヒール「世界が愛した日本人の心」その2 ~占領軍提督とトモダチ作戦~
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