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<私の恩人>メッセンジャー黒田さん 謹慎中、たかじんさんから連絡…

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今までにも芸能ジャーナリストの中西正男さんの記事から、
村上ショージさんと明石家さんまさん
団長安田さんと勘三郎さん、鶴瓶さんにまつわるお話をご紹介しましたが、
今夜はメッセンジャーの黒部有さんが
「恩人」として語るやしきたかじんさんのお話を。

私の恩人 メッセンジャー黒田 謹慎中、たかじんさんから連絡…“劣等感"を持つ者同士だから
http://thepage.jp/detail/20130630-00010001-wordleaf


彼の暴行事件は約4年前のこと。
謹慎中にたかじんさんは彼を食事に誘われ、

なんとか、オレが使うようにするから

と仰ったんだとか。

遡って、彼が20代後半の頃、
お仕事はラジオ1本のレギュラーという、
やはり仕事が少なかった時期のようです。
その頃、彼が呼ばれた番組が「たかじんnoばぁ~」と、
その後番組「たかじんnoどぉ!」でした。
お酒を飲みながらの番組でしたので、
そのブレーキ役として彼が選ばれたとのこと。
そのブレーキ役の彼自身が羽目を外すようなこともあり、
それでもたかじんさんは彼を目にかけるようになったんだとか。
たかじんさんは人をご自宅に呼ばれて
お酒を召し上がるようなことはあまりされないらしく、
しかし、黒田さんはお宅で一緒に飲まれたんだそうです。
人見知りでシャイなたかじんさんにとって、
それは特別なお酒だったのかもしれません。

その時、黒田さんはたかじんさんの部屋に、
何台ものテレビが置かれていることに気付きます。
たかじんさん曰く、

自分は芸人ではないから、
喋りで芸人さんと戦うためにはそのための武器が要る


んだと。

それについて黒田さんは、
たかじんさんの"劣等感"だと感じられたようです。
「一緒にしては怒られるかも」とされつつも、
黒田さん自身が抱えている劣等感、
そこを見られたくないこらこその攻撃性、
恥ずかしがり屋だという共通点から、
ご自宅に呼んでくださったのかもと仰っています。

たかじんさんが再休養に入られた時に、
「たかじんNOマネー」は彼に托されました。
この時点では

それが恩返しになるか分かりませんけど、もし、“たかじんイズム”みたいなものを踏襲するならば、まずは、たかじんさんが戻ってくるまで「たかじんNOマネー」の熱を冷めさせないように努める。そして、戻ってきはったら、ボクは番組を離れて、空いた席をボクより後輩に譲らなアカンと思っています。

と仰っているんですが、
もしも、出来ることでしたら、
黒田さんの遣り方で「たかじんNOマネー」を
続けていただければと願っています。


「恩」ということでは、
たかじんさんに恩を感じておられる方は多いかと思います。
「天童よしみは紅白に出てて当然や」とか仰って、
それを番組の企画にして彼女をプロデュース、
いろいろなことをされてきましたけれど、
現実に彼女は紅白の常連となりトリを務められたことも。
北野誠さんも芸能界の何かしらのタブーに触れて、
長期休養を余儀なくされましたが、
どこのテレビ番組からも出演依頼がない中、
「たかじん胸いっぱい」に彼を呼んでいます。
事件からの復帰ということでは、
そのまんま東(当時)さんもそうでした。
後味の悪い吉本興業からの独立だった大平サブローさんでしたが、
彼が復帰するにおいて、尽力したのが明石家さんまさん、
島田紳助さん、オール巨人さんでしたが、
吉本所属タレント以外ではたかじんさんが関わっていました。
ある夜、サブローさんがたかじんさんに連れられてお店に入ると、
そこには当時の吉本の会長などの偉いさんが。
たかじんさんがサブローさんに「土下座せえ」と仰ると、
彼自身も一緒に床に両手を着いて吉本復帰をお願いされたそうです。

そういえば、たかじんさんは朝日放送のことを
「あんな腐った放送局」と何度も仰っていて、
それは以後、一切の番組に出ておられないことからも
たまたまではないと思うんですが
原因は過去の彼のレギュラー番組が修了する時に、
当時の役員か誰かに心ないことを言われたからだそうで、
そんな朝日放送との関係でありつつも、
宮根誠司さんがフリーになられる時に、
宮根さんのフリー志向を確認しただけで、
朝日放送の社長のところへ直談判に乗り込んだり。

大きな転身でいえば、現在の橋下大阪市長が
府知事選出馬の時に、後押ししつつ、
彼が立候補することで放送上迷惑を被る各局に対しては
「それは俺に任せとけ」と請け負われたり。
そういえば、橋下市長が会見で涙を流されていましたね。
辛坊治郎さんは朝の生放送で、
涙で声を詰まらせていました。

安倍 晋三公式Facebook

人には出会いと別れが有ります。
初めて やしきたかじんさんとお目にかかったのは私が幹事長の時でした。
その際「いつか一緒に温泉に入ろう」と約束し、それが実現したのは総理の職を辞した後でした。
政治的に尾羽打ち枯らした状況の私を誘って頂いたのはたかじんさんの気遣いだったと思います。



以上、二晩、やしきたかじんさんについてお書きしてきました。
全てが事実かどうかはわかりませんが、
まだ書き足りないような気もしています。
記事の終わり方もわからなくなってきましたので、
ここで終わらせていただきます。
明晩からは予定どおりに戻りたいと考えています。





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