1995年1月23日、神戸市生まれで
六甲アイランド在住の将棋棋士・谷川浩司九段は
大切なタイトル戦、王将戦第2局を指すことになっていました。
相手は既に7大タイトルのうち6冠を手に入れていた羽生善治。
全七冠制覇がかかった注目されたこの王将戦は、
13日、まず谷川王将の先勝で開幕します。
次の公式戦は20日、A級順位戦で当時の米長邦雄九段との対局、
しかし、17日にそれは起きました。
兵庫県南部地震、阪神淡路大震災です。
日本将棋連盟も彼との連絡が取れません。
基本的に対局が延期されることはありませんが、
翌18日、
私は生きています
彼からの一報が入ります。
奥さんが運転する車で、
そして徒歩で13時間を要して対局場所の大阪に辿り着きます。
彼が大阪まで進んできた道筋には
ただ惨状が広がるばかりでした。
六甲アイランドを出て初めて、
対岸の有様を知ることとなります。
生き埋めになっているかもしれないのに、
何も出来ない自分、
そして、将棋を指すために急ぐ自分を責めたそうです。
大阪に着き、大地震から初めて温かいものを食べ、
そして入浴、普段、当たり前のようにしていたことが、
実はそうではないことを知ったと彼は語ります。
20日、A級順位戦勝利、
23日、王将戦第2局勝利、
そして、王将戦は3勝3敗のタイとなり、
迎えた3月23日、最終戦が始まり、
翌24日に千日手で指し直し、
その指し直しも40手目まで千日手局と両者全く同じ、
41手目に谷川王将が手を変えて勝負、
111手にて挑戦者が投了、羽生6冠の7冠を阻止することが出来ました。
彼は、
神戸を代表して戦っている意識があった
と語り、また
震災がなかったら獲られていたかもしれない
とも。
大災害は私たちから大切なものを奪いました。
一方、その環境にあるからこそ、
生まれる力もあるのではないかと思います。
昨年の楽天ゴールデンイーグルス、
1995年のオリックス・ブルーウェーブ、
谷川先生のように。
足を止めてしまう震災の遺構などは出来る限り取り除いて、
目につかないようにすべきだと考える私ですが、
時に立ち止まり、あの日のこと、
あの日から今日までのことを思い出すことも必要があるのも事実です。
防災面での必要性はもちろん、
そうすることで、自分自身に何らかの力が生まれるのではないか、
そんな気もしています。
あの時は、出来たんだから
最年長名人目指して復活を
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140114/wlf14011411380020-n1.htm
谷川浩司九段の『いま、一人ひとりができること』
http://www.jisa.or.jp/Portals/0/resource/news/804/download/201.pdf
(2011年年9月2日講演)
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阪神淡路大震災から19年 -谷川浩司九段・現日本将棋連盟会長の1995年-
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