先週のコヤブ歴史堂は和泉式部。
古典が大嫌いだった私にとって、
入口となったのが和泉式部でした。
読めもしないのに、
それなりの「和泉式部日記」を買ってきて、
たいへん苦労した記憶があります。
和泉式部の歌は心に届きます。
特に歌の技巧を凝らしていない歌が好きです。
上手い歌人はたくさんいるんでしょうけれど、
ということで、私は和泉式部派です。
和泉式部は彼氏が死んだ後、
った
「和泉式部日記」より
彼氏の為尊親王が亡くなり、悲しみに暮れ早四ヶ月と十日、
木の葉が青々としているのを眺めていたら、
庭先に人の気配…
見ると、亡き親王の召使の少年だった。
「お久しぶり~。懐かしいわ~」と言うと少年は
「僕、今は為尊親王の弟の帥宮様の召使やってます」と言う。
「帥宮様は、上品で、堅い人らしいわね?」と聞くと、
「はい、まあそうなんですが…実は僕、帥宮様に度々、
『お前、和泉式部の家に行くことないんか?』と聞かれまして、
『ええ、まあ』と申し上げたとたか、
『ほな、これを和泉式部に渡して、どう言うか聞いてこい』って
言われて、今日来たんです」と言いながら、
少年は橘の花を取り出した。私はつい、
「橘の香りをかぐと昔の恋心がよみがえるわぁ」と歌ってしまい、
「ちょっとぐらいなら"浮気者"って言われないよね」と考え、
『橘の香りのついでに、ほととぎすの声が兄と同じか聞いてみたい』
という返事を少年に渡した。
その後、少年に私の返事を渡された帥宮様は
「同じ枝で鳴くほととぎすは兄と声が同じなのは当然でしょう」
とお返事をお書きになり、少年に、
「このやりとりを人に言うなよ。好色と思われるから」
と仰って、奥へと入っていったそうです。
冷泉天皇の第三皇子・為尊親王は26歳で薨去、
帥宮というのは母も同じの敦道親王のことですね。
少年=小舎人童が持参した橘の花に和泉式部が詠んだのが、
薫る香によそふるよりはほととぎす
聞かばや同じ声やしたると
こちら。
この状況ですから、この歌が
文字通りのことを詠んでいる訳ではないのは当然です。
返して帥宮。
同じ枝に鳴きつつをりしほととぎす
声は変はらぬものと知らずや
以上、
和泉式部は彼氏が死んだ後、
その弟とラブラブになった
でした。
和泉式部は二人の愛をした
「和泉式部日記」より
帥宮様が従兄の藤原兼隆邸に行くことになった時、私は
「知らないところに行くのは恥ずかしい」と言ったのですが、
宮はむりやり連れて行かれました。
そして人目につかない所に車を停め、
私を置いたまま、従兄の家に行かれました。
車の中に置き去りにされた私は「恐い」と思いました。
深夜、帥宮様が車に帰ってこられ、
二人の将来について語り始めました。
たとえ宮の愛が本物だとしても、
今までの都合のいい女扱いを、後悔しているにしても、
まことに身勝手なお振る舞い、とは思いつつ…
その場で契ってしまいました。
車の外では、事情を知らぬ宿直の男たちがウロウロしています。
右近さんや、子供の召使もすぐそばにいました。
そんな帥宮にも既に妃がいて、
それで和泉式部を側に置いたものですから、
離婚ということになります。
和泉式部は帥宮との間に男の子をもうけますが、
帥宮自身も26歳で薨去してしまっています…
彼が亡くなり、彼女が詠んだ挽歌は百を超えます。
捨て果てむと思ふさへこそかなしけれ
君に馴れにし我が身とおもへば
私の一番好きな、一番悲しい歌です。
以上、
和泉式部は冷めてしまった二人の愛を
車の中で温め直した
でした。
和泉式部は旦那とするために、
いた
「沙石集」より
和泉式部が藤原保昌に愛されなくなった時、
巫女に相談して、貴船神社で夫婦和合の祈祷をすることになった。
このことを保昌が聞きつけ、神社の陰からじっと見ていたところ、
年を取った巫女が、赤い御幣を立て、
じっくり祈祷した後、
鼓を打ち、衣服をかき上げ、
陰部をあらわにして、陰部を叩き、
三度円を描くように歩いて、
「このようになさいませ」と言った。
式部は、顔を赤らめて、返事をしない。巫女は
「このご祈祷の一番大事なところなのに、どうしてしないの?
しないなら、なぜ夫婦和合の祈祷に来たんですか!」
と式部に言った。その様子を見ていた保昌が
「こりゃ、どエラいものが見られる」とわくわくしていると、
式部は長い間考えた末に、
「神様の見る目が恥ずかしい。夫に忘れられた身とはいえ、
この身を捨てるような真似は出来ません!」と言った
式部の心に打たれた保昌は「ワシはここにおるで!」と叫び、
姿を現し、その場から式部を連れて帰った。
もし式部が陰部を出し、叩いて、三回回っていたら、
保昌に愛想を尽かされていたことだろう。
藤原保昌は敦道親王と死に別れたのちの再婚相手。
貴船明神は今でも縁結びの神としてあやかられ、
貴船神社にはカップルや女性が多く訪れています。
一方で、縁切りの御利益もあるとされていますが。
ものおもへば沢の蛍もわが身より
あくがれいづる魂たまかとぞみる
和泉式部は夫との仲を嘆き、
そして、貴船明神はこう返したそうです。
おく山にたぎりて落つる滝つ瀬の
玉ちるばかりものな思ひそ
悩み苦しんでいると、
蛍火が自分の脱け出た魂のように見えると和泉式部、
そんなに悩んでいると、
落ちる滝の玉(魂)のように飛び散ってしまうと明神様。
神も歌を詠むのかどうかは知りませんが、
そんな歌も伝えられています。
実は、貴船明神、あるいは巫女も保昌が見ていること、
そして和泉式部がその無理な祈祷を
行わないことを承知の上だったのかも。
それこそ、夫婦和合の策として。
二人にはこんなエピソードもあります。
これは祇園祭の保昌山(ほうしょう)の巡航。
これは藤原保昌の名前から取られたものです。
保昌は和泉式部に惚れ抜いていたものの、
彼女はさほどでもなく、
諦めさせようと無理難題をふっかけます。
紫宸殿の梅を持って来て
紫宸殿は天皇家の正殿なので、
彼女もそれであきらめてくれるだろうということなんですけれど、
保昌はまさかそれを実行して、
警護の北面武士に矢を射掛けられるなどしつつも、
なんとか1本の梅の枝を和泉式部の元に届けたのでした。
祇園祭の保昌山はそれを表しています。
山鉾にはそれぞれに御利益があるとされますが、
保昌山はもちろん、縁結びです。
以上、
和泉式部は旦那と仲直りするため、
かなり恥ずかしめなアドバイスを受けていた
でした。
続いては、ラジオ歴史堂から。
和泉式部は好きな男から
他の女宛てのラブレターを書いてと言われすぐに書いた
切ない話ですよね。
愛する敦道親王からこんなことを頼まれては。
和泉式部に緊張し、目が合うのを恐れて
車の中で変な座り方をした僧がいた
「古今著聞集」にあるらしいですね。
道命阿闍梨、僧で歌人なんですが、
私はよく知りません。中古三十六歌仙の一人であり、
阿闍梨というからには位の高い僧だったのでしょう。
和泉式部と道明が同じ牛車に乗り合わせた時に、
なぜか道明が背中を向けて座っていて、
それをいぶかった彼女が理由を問うと、
よしやよし昔やむかしいがくりの
ゑみもあひなば落ちもこそすれ
と歌で答える道命。
文字通りならば、向かい合って座ってしまうと、
いが栗が割れるようなあなたの笑顔を見せられたら、
私は栗の実が落ちるように車から落ちてしまう
と説明していることになります。
美貌で知られた和泉式部、
あるいは藤原道長に「浮かれ女」と評されたように、
道命は和泉式部に要らぬ妄想をしてしまったのかもしれません。
この道明の歌からは、そんな印象も受けます。
ただ私は、彼女自身、浮かれていたのではなく、
その時ごとに懸命にその人に恋し、
懸命にその人を愛していたのではないかと思っています。
最後に死期を悟った彼女が詠んだとされる歌、
小倉百人一首にも採られた歌です。
あらざらむこの世のほかの思ひ出に
いまひとたびのあふこともがな
現代語訳などは不要の歌です。
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