よく知られている曲も、
原曲は歌詞が全く違っていたりすることがあり、
存在していたはずのメッセージが失われてしまったり、
あるいは、その曲が国境を越えたことで、
別の歌詞が乗せられ、
その国の社会で別の大きな意味を持つことがあります。
なぜ、そうなったのか、その理由を知ることで、
その時、その場所の歴史を理解することが出来るかもしれません。
ザ・フォーク・クルセダーズが歌った「イムジン河」です。
1968年の歌ですが、2005年に公開された映画
「パッチギ!」で重要な意味のを持つ曲として使用されたことで、
また話題になりました。
この曲は元々、北朝鮮の歌でした。
北朝鮮では「リムジン河」と発音し、
韓国との軍事境界線に近い河川です。
イムジン河の南の葦原では
オオヨシキリだけが悲しく嘆き
南のやせた原野では
草の根を掘っているが
北の共同牧場の穂が
波の上に踊るので
イムジンの流れを分けることはできない
そんな歌詞があります。
特に2番の歌詞では北での幸せな生活、
南での苦しい生活を捨てて北へ来ればいいのに、と
そんな北朝鮮国家が主導したプロパガンダでありました。
フォーク・クルセダーズがこのメロディに魅了されます。
自分たちもこの曲を歌いたいと考えた時に、
彼らは歌詞を変えました。
理不尽に国を分断された悲しみは、
朝鮮半島の人だけの問題ではない、
そのメッセージを彼らが込めたことで、
後の世にも知られる名曲となったのでした。
「歌は時代の証言者 名曲で読み解く歴史の真実」と題された
先週の講師は大阪府立大学の細見和之教授。
歌には人々の心を動かす力があります。
いろんな違う場面で歌い継がれたり、
あらためて気付かせられたり、
そういうものが名曲にはあるんだと思うんですけども、
そういう歌を知っていけば、
難しく思える現代史を
興味深く学ぶことが出来るんです
ビートルズの名曲「Hey Jude」。
ヘイジュード 落ち込むなよ
悲しい歌も少しはマシにできるさ
彼女を君の心に受け入れるのさ
その時、全てがいい方向へ向かい始めるさ
2012年ロンドンオリンピック開会式では、
ポール・マッカートニーが歌いましたよね。
1968年のこの曲は、ジョン・レノンと
当時の妻・シンシアの破局が決定的になった時、
5歳の長男・ジュリアンのためにポールが書いたものでした。
ポールもジョンも、この時には
5歳の男の子をを元気づけるためのこの曲が、
よその国で革命のシンボルソングとなるとは
夢にも思っていなかったことでしょう。
中央ヨーロッパに位置するチェコ共和国。
この国で、「Hey Jude」が歌い継がれています。
1968年、当時、共産国家の支配にあったチェコスロバキア共和国では
長く続いた独裁政治に対抗して民主化運動が起こります。
いわゆる「プラハの春」です。
この頃、チェコで活躍していた女性アイドル歌手が
マルタ・クビショヴァ。
その美貌と独特のハスキーボイスで絶大な人気だったとか。
しかし、同年8月、民主化運動に対して
ソビエト軍が軍事介入、
60万の兵力でチェコスロバキアに侵攻し、
全土を占領下に起きました。
なぜ、自由を奪われなくてはならないのか、
理不尽な現実に憤る彼女は、
自分に出来ることは何かを考え始めます。
そんな時、ラジオから聞こえてきたのが
ビートルズ「Hey Jude」。
そのメロディには心の底から力がわいてくるような力強さと、
人を励ます優しさが感じられました。
彼女は、この曲を民衆のために歌おう、
原曲に自らの想いを込めた歌詞を乗せて。
ねぇジュード 涙があなたをどう変えたの
目がヒリヒリ 涙があなたを冷えさせる
私があなたに贈れるものは少ないけど
あなたは私たちに歌ってくれる
いつもあなたと共にある歌を
この時の彼女の「歌」とは、
圧政に立ち向かう民衆の声でした。
苦しくても真実を訴え続けなければいけない、
民衆に彼女はそう訴えたのでした。
ねぇジュード あなたは知っている
口がヒリヒリする 石を噛むような辛さを
あなたの口から綺麗に聞こえてくる歌は
不幸の裏にある「真実」を教えてくれる
この曲が弾圧に苦しむ民衆に勇気と希望を与えていきます。
その後のプロモーションビデオでは、
戦地で歌う彼女の姿が。
釘を打ち付けられた人形は、
ソ連軍に対する痛烈な批判でした。
チェコのジャンヌ・ダルク
いつしかマルタはこう呼ばれるようになりました。
当然、ソビエトが彼女を危険視し尋問。
「この歌詞は我々を批判しているように思えるが…、
貴様はどういうつもりでこの詩を書いたんだ!」
マルタは答えました。
軍人さん、あなたも字が読めるのよね?
それなら、あなたの感じたままが私の答えよ!
ソ連に屈していく政治家や活動家が多い中、
彼女は反抗をやめませんでした。
また、その意志を隠そうともしませんでした。
レコードの回収と販売禁止措置に加え、
マルタは音楽界から永久に追放されてしまうことになります。
しかし、彼女の歌は消えませんでした。
心の中の歌までは消せません。
民衆の間で、いつか来たる革命の時を信じ、
歌い続けられていたんです。
そして、時は流れて1989年、
ドイツではベルリンの壁が崩壊し、
無血革命が共産党支配を倒します。
チェコでは、勝利宣言のために
プラハの広場に30万人が集結、
その30万人の視線の先には
マルタがいました。
長く苦しい戦いの中、
わずかな希望を胸に口ずさんだ彼女の歌を聞く民衆の手には、
勝利の「Vサイン」が掲げられていました。
今も彼女は歌い続け、
そしてもう一つの「Hey Jude」は
今も国民の心の歌として愛され、
歌い継がれています。
ねぇジュード あなたの人生を信じて
人生は私たちに傷と痛みを与える
時として傷口に塩を塗り込み
棒が折れるほど叩いて
人生を操るけど 悲しまないで
元は、一人の男の子を励ますために心を込めて作られた歌。
この曲に心がこもっていたからこそ、別の国で
一国の民衆の力となることが出来たのではないでしょうか。